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「ロシアとウクライナの戦争はどうして始まったのか」泉清隆

014年2月にウクライナのヤヌコービッチ前大統領は、E

U加盟の議定書の署名を拒否しましたが、2月21日にウクラ

イナ政府とEUはこの事を平和的に解決する事にし、ウク

ライナのEU加盟を問う大統領選挙を年内に実施すること

にしました。ところが翌日、ウクライナのキーウのマイダ

ンという広場で、EU加盟を支持する人々の平和的なデモ

が行われていたところに極右勢力の狙撃隊が入り込み、大

統領官邸を警備していたウクライナ警備隊と、デモをして

いたウクライナの人たち両方に発砲し29名が死亡しました。

この時にデモをしていた2~3万人の人たちが、発砲したの

は大統領官邸の警備隊だと勘違いして、大統領官邸を襲撃

・占領し、やがてウクライナの前大統領ヤヌコービッチ政

権は崩壊しました。

この時に米国がこのマイダンクーデターに関与したこと

をオバマ大統領は認めています。具体的には発砲した極右

勢力の狙撃隊は米国と関わりがあったということです。(こ

のことはオリバーストーン監督のドキュメント映画「ウクライナ・

オン・ファイヤー」で描かれています。YouTubeで見られます。)

この後、ウクライナ情勢は混沌化して、翌年はクリミヤ

併合事件が起きました。

2014年9月にロシアとウクライナの和平合意(隣国ベラル

ーシのミンスクで締結されたミンスク和平合意)がされまし

たが、その後も小競り合いが続き2015年2月にドイツとフ

ランスの調停で再度のミンスク和平合意の確認がなされま

した。

しかし2021年10月末にウクライナ軍のトルコ製攻撃ドロ

ーンによるドンバス地域への攻撃に端を発して、ロシア正

規軍の特別軍事作戦への危機につながり、ついに2022年2月

24日にロシア軍によるウクライナ侵攻が始まりました。

ウクライナという国は1991年独立以来「非同盟」で生き

てきました。「非同盟」というのは冷戦時代にも抑止力とな

っていました。ウクライナのヤヌコービッチ前大統領は「非

同盟」の道こそが、ウクライナとヨーロッパ、そしてロシ

アにとってより現実的な平和への道である事を知っていた

といえます。

ウクライナのゼレンスキー大統領は選挙では「非同盟」

を公約にしていましたが、就任後は親欧州に路線を変更し

ました。EU側、NATO加盟の方になったのです。

ミンスク和平合意はロシアとウクライナ双方にとって苦

渋の選択でしたが、残念なことにウクライナ側が合意を反

故にしてしまいました。そして今回、戦争が始まったとい

えます。

そこで以前紹介した1921年の新渡戸稲造裁定に学ぶことを提

案しています。それはバルト海のオーランド諸島の帰属をめぐ

って起きたフィンランドとスウェーデンの紛争でしたが、その

戦争寸前であった時に、ジュネーブでの国際会議で新渡戸稲造

が裁定をしました。現在もそこは平和が続いています。

(福岡国際教会の木村公一牧師の記念講演からまとめました)

新渡戸稲造はクリスチャンです。平和を作り出す働き人のた

めに祈ります。そして、世界中の戦争と争いが解決されますよ

うに。

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