「中立」 泉清隆
列王記下18~19章/イザヤ書36~37章に記されて
いる、ユダ王国(南イスラエル)の王、ヒゼキアは信
仰の面では神に依り頼んでいました。そして政治的
には中立政策を取っていました。しかしながら再び
台頭してきたアッシリアに対して恐れが出てきまし
た。それはアシトドという国がアッシリアによって
弾圧された時の状況を目の当たりにしたからです。
そんな時に対アッシリアに対する大国であるエジプ
ト王国がアッシリアの侵攻をくい止めるためにユダ
をはじめとする弱小国に同盟国入りを働きかけるの
です。更にはアッシリア国の王が代わり体制が一時
混乱している状態の時になり、この時に至ってユダ
の国はもう一つの超大国のバビロンとエジプトに使
いを送り同盟を組んで、反アッシリア同盟の中に入
ってしまいました。それは神ではなくて、エジプト
という国の軍事力・地上的な力に依り頼んだという
事です。そして結局滅んでしまったのです。
このことから現実の生活の中で困難に直面し行き
詰まる時、神に信頼して神に求めることはどうする
事なのかを思う時に「中立」という事を考えさせら
れました。
中立国は英語でneutral countryニュートラルカ
ウントリーというそうですが、有名なのは、スイス、
オーストリア、そしてトルクメニスタンですが、い
ずれも国際社会が承認して認めているものです。以
前はベルギー、ルクセンブルクなどがありました。
日本は、第二次世界大戦後に憲法第9条(戦争放
棄・戦力不保持・交戦権否認)が設けられたことで
中立国となるべきであるという主張があり、1949年
3月にはダグラス・マッカーサーが「日本は極東の
スイスたるべき」と発言したという報道がありまし
た。その後はサンフランシスコ講和会議でソビエト
社会主義共和国連邦が日本の永世中立化を提案した
という事です。
沖縄…かつての琉球王国は、大国の間に挟まれて
いて、争っていては国が成り立たない小さな弱い国
でしたので、生き残る術を日ごろから考えてながら
暮らし、相手の立場によって話し合って争わず、出
会えば兄弟・四海一家という心をもって、仲良くな
らないとお互いの利益を得ないと知恵を使って生き
てきた国です。17世紀には琉球王国の摂政となっ
た羽地朝秀(はねじちょうしゅう)は薩摩、台湾、オ
ランダと外交をしました。
沖縄には1458年に琉球王国の尚泰久王が鋳造させた
万国津梁(ばんこくしんりょう)の釣鐘があります。そ
の鐘には碑文があり、内容は沖縄県庁第一応接室の屏
風に書いてあります。「万国津梁」とは世界を結ぶ架け
橋の意味です。沖縄を象徴する言葉かもしれません。
私たちは沖縄(命どぅ宝)の日を覚え、沖縄を学ぶだけ
でなく、沖縄から何を学ぶか、ということを大切にし
ていきたいものです。
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