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「人生をかみしめて生きる」 泉清隆

NHKの「世界ふれあい街歩き」「ハーメルン...ドイ

ツ...」の中で、日のあたるベンチに座るおばあさん

とおじいさんが出ていました。レポーターは老夫婦

だと思って近づいたのですが、それは101歳になる

母親と71歳になる息子の親子だったのです。年齢に

驚いたレポーターが「長生きするにはそれなりの秘

訣があるんでしょうね」と尋ねると、彼女は「お教

えしましょうか? 呼吸を続けていればいいのよ。

絶対に止めてはだめ」と言って少し笑い「あとは、

人生をかみしめて生きることね」と続けました。

101歳の彼女は若々しく、よく笑い、目が活き活

きとしていました。この日は老人施設に歩いて通う

途中で、そこでトランプをするのが楽しみだという。

どうしたらこんなゆとりある老後を過ごせるのでし

ょう。

彼女の「人生をかみしめて生きる」とは、言い換

えれば「人生を味わい尽くす」とも言えるでしょう。

滋味豊かな体験もあれば辛酸を嘗めるような体験も

あるのが私たちの人生です。人情としては滋味だけ

を味わいたいのだが、なかなかそうはいきません。

そこでいきおい、辛い時期には、将来に与えられる

であろう成功とその果実を夢見ながら現状を耐える

ことになるでしょうか。しかしそれでは、「待ち続

けるだけでは心が病む。」(箴言13章12節)とい

う状態となって、途中のプロセスから栄養をいただ

くことができなくなるようです。

新生讃美歌205「まぶねの中に」の歌詞、「馬槽の

なかに うぶごえあげ 大工の家に ひととなりて 貧

しきうれい 生くるなやみ つぶさになめし この人

を見よ」イエス・キリストも人生をかみしめて生き

られたと歌っています。福音書の中で、行く道の途

中でイエス・キリストが立ち止まったり、座り込ん

だりする場面が想起されます。サマリアの井戸のそ

ばに座り込んだイエス・キリストは、ひと時、一人

の女性と語り合った。そして弟子にこう言われまし

た。「わたしの食べ物とは、わたしを遣わされた方

の御心を行い、その業を成し遂げることである」(ヨ

ハネによる福音書4章34節)イエス・キリストは

この「食べ物」を味わいながら十字架に向かわれ、

苦い杯も飲み干されたのです。


(地 引 網出 版 の編 集 長谷 口 和一 郎さ んコ ラム を参照 しま した 。

https://www.jibikiami-book.jp/)

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