「信仰告白研修会を振り返って~聖書釈義と個人解釈~」 内山賢次
信仰告白をテーマに行った研修会(10/29)を振り返りますと
真摯にグループの40分間の話し合いが展開したことが5名
の発表者の報告から伺えました。私の教会、私たちの教会
の出来事として交流が深まったと感じました。教育委員会
からの5案修正案に対して項目ごとに意見が交わされまし
た。告白文としての言葉の強さ、教会の外側からの目線、
項目の順序、週報扉に毎回掲載されているミッションステ
ートメントが改めて吟味され教会が形づくられていく時でし
た。★正解を導くことなく、程よい加減の研修会でした。それ
は泉牧師を招聘し信仰告白を学んできた過程の果実と言
えます。教会の生き方をどのように示すか、そのためには聖
書をどのように読むかが今一度問われたのではないでしょう
か。★バプテスト連盟信仰宣言1947年版、1979年版の経
緯を再読された方もはじめ、作成することが目的ではなく、
花見の地からイエスキリストが生きる軸であるとキリストの香り
を漂わせ続けること、教会員としての自覚と主体性で「バプ
テスト」のひとりとして日常生活の行為にさりげなく落とし込む
ことに力を頂きました。★教会の役員会は冒頭で「ひらかれ
る教会」(連盟宣教部編)から学んでいます。“聖書を読む”
ことではなく“いかに聖書を読むのか”、 朴思郁(連盟宣教
研究所所長)さんによるA「聖書釈義」とB「個人解釈」の二
つに関する考察の概要を記します。聖書の読み方の新しい
視点がコンパクトに纏められ、深さのある論文ではないかと
思います。批判的側面を抱いてお読みください。限定され
た字数での概要です。詳細は本文中の書籍をご覧くださ
い。★Aは著者の意図、意味を聖書から引き出すことで、
歴史状況下で聖書記者が何を如何に神の言葉として記し
ているのかを探っていくことです。Aに関して①聖書は中近東
の異国の言葉で書かれた異文化の産物であり聖書理解
の難しさがある。がすべての人々のために書かれた神の言
葉として受け止め、客観的総合的に聖書の特徴を理解す
る。②聖書のジャンル(説話、歴史書、法律、箴言、詩編、
書簡、黙示)ごとに適切な読み方をし、聖書の事柄がどのよ
うな意味か、いつの時代にも通用するものなのか、特殊な
状況に限られているのかを峻別することが大事である。③
聖書は誤謬のない原本ではなく、写本をまとめた聖書を訳
した「翻訳本」である。翻訳者が違う聖書を参考にして、“聖
書は理解しがたい”認識を持ち続けて「翻訳本」の限界を
認めつつ読む行為は、誤読、恣意的解釈の可能性を意
識するようになり、謙虚に聖書と向き合うものだ。研究者の
学問的成果からより的確な聖書理解に近づく。
★Bに関しては誠実なA「聖書釈義」に基づいて自分の課題を
聖書に投影し問答して語りかけられる意味を導くのが「個人的
解釈」です。①自分の人間理解を見つめ直し人間の多面的
な側面(哲学的、社会的、歴史的、政治・経済的)を理解す
る。特定の教理だけを物差しにする人間理解には危険性があ
る。②「読む力」を養い、良い質問をつくりだす。つまり描かれて
いない心の動き、苦悩、憐憫などを想像<文学的想像力>し
て聖書に問いかける。“共感の想像力”を培うために深層的な
人間理解を可能とする古典、多様な文学作品から多様な人
間模様を間接体験する。③「批判的思考能力」を養い、自ら
考え、省みる。そして矛盾、不条理に抵抗し改善を求めていく。
そのために社会を見抜き、より良い未来を見据えるために偏らな
い読書を重ねる。歴史認識、人権意識を整えて“果たして聖書
は、今、ここで、何を語りかけているのか”に応答する。それがこ
んにちの聖書の意味を的確に見出し、具現化していくことです。
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