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「信徒宣教者の会について」 金子政彦

1.信徒宣教について

古賀バプテスト教会では、2017年4月の泉清隆牧師

着任以前から信徒宣教に取り組んでいます。私たち

が加盟する日本バプテスト連盟は、信仰宣言の中で

「信仰の中心はイエス・キリストであること」、「信

仰の基盤(信仰の唯一の規範)は聖書であること」、

「バプテスマはイエス・キリストを主と信じ告白す

る者にのみに授けられること」、「信徒はひとしく福

音宣教にたずさわること」を表明しています。バプ

テスト教会では、教会が招聘し、職務を委託した牧

師だけが礼拝宣教を担うのではなく、教会の委託が

あれば信徒も牧師と等しく福音宣教にたずさわると

されます。古賀バプテスト教会でも、礼拝に集う

一人ひとりが自覚的に聖書に向き合い、イエス・キ

リストとの出会いを体験すること、私自身が「神の

前で生きる者」として招かれていることを喜び、イ

エス・キリストに従い、すべての人と共に生きるこ

とを大切にします。信徒宣教の取り組みは、牧師と

協力し、信徒も、それぞれに与えられたことばをも

って、イエス・キリストの良き知らせを伝えようと

する働きです。

2.信徒宣教者の会とは?

当初、不定期だった信徒宣教者の学びが、現在は

1ヶ月に1回、1時間半程度の時間で、Zoomにて行わ

れています。内容は、その月の信徒宣教の振り返り

と意見交換、またテーマを決めての学習です。

3.みことばを語るということ

そもそも神の御心を人間が取り次ぐということ自

体、よくよく考えると無理があり、恐ろしい越権行

為のように思えます。加えて、本格的な神学の学び

をしていない者が礼拝で宣教することには、何の権

威もなく、その場に立つ者にとっては大きなためら

いがついて回ります。しかし、聖書は『わたしたち

は、このような宝(イエス・キリスト)を土の器に納

めています。この並外れて偉大な力が神のものであ

って、わたしたちから出たものでないことが明らか

になるために』(Ⅱコリント4:7)と記します。有資

格者・有能力者だから語ることができるのではな

く、不十分、不完全、不適任な私自身に、聖書を通

して神が示されたことを、精一杯ことばにして分か

ち合おうとすること、ただそれだけが求められてい

ると思います。

4.学ぶということ

宣教の内容は、イエス・キリストの福音(良き知らせ)

です。宣教者自身が「神の前で生きる者」として招か

れていることを喜び、生活者としてイエス・キリスト

に従うことを表明します。信徒宣教者に求められてい

ることははっきりしています。福音を受け取り、お隣

の人にお伝えすること。そのために、私たちは祈りを

もって聖書に親しみます。また、聖書を通して自分自

身を知り、生活の中に神からの豊かなメッセージが備

えられていることに気がつきます。生活の中の気づき

を受け取って、再び聖書のみ言葉に戻っていきます。

その喜びの営みが学びであると思います。学びには、

宣教者だけでなくすべての人が平等に招かれているの

です。

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