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「先達の信仰を覚えて」 木村憲子

1984年、私が古賀教会に初めて行ったとき、齊藤英

哉牧師(3代)1976年~1995年でした。印象深いこと

として、バプテスマ式は、新宮の海岸で行われたことは、

初めての体験で感動を覚え自然の環境に感謝したもの

でした。齊藤先生は地域の役も受けられてまさに地域に

ある教会を実践されたのではないでしょうか。

当時教会財政が厳しいことから齊藤先生への給与

は、大変申し訳ない金額でした。先生はアルバイトで公

文教室をされ、おつれあいの公子さんもお仕事をもって

おられたのです。

先生を思い出すのは、週報を作るのに※謄写版で印

刷をするのを何度か手伝った記憶がありますが、結構大

変でした。先生はいつもにこやかで、礼拝後は牧師館を

解放してくださって、子どもたちは、ソファーで遊んだり、

女性会は台所を共用させて頂いたので、常に会堂から

行き来が出来ました。先生の口癖は、「建築委員会を発

足させたい」と、会堂の現状を憂いておられました。先生

のメッセージで最後は「いつも主が共におられる」の言

葉で締めくくられていました。神さまと教会に仕えられた

素朴な牧師でした。

私たちの古賀教会で永く代表役員をされ忘れてはな

らない方が、津野勝さんです。津野さんは、もともとパン

屋を営まれていたそうです。私が出会った時は、文房具

屋をされていました。ちなみに私が持っているテプラ器

は、津野さん亡き後購入したものです。教会に来られると

きは、みんなの心配をよそに高齢の体であったと思いま

すがヘルメットを被り、さっそうとバイクに乗っておられま

した。いつもきちんとしようとされる方で、笑顔の反面き

びしいイメージがありました。晩年は、自宅の自室で座っ

ていても物が手にとれるような生活スタイルでした。教会

の資料などは随分お持ちであって、教会のことをお話し

するのを楽しみにされていました。

個人的にも仲よくさせて頂いた長﨑文子さん。彼女

は、手のリウマチ、足の関節炎で苦しんでおられました。

それゆえ手術を何度もうけられ病と闘うために信仰を持

たれたと記憶しています。新しくなった会堂でお身体が

不自由なこともあって特例として、滴礼でバプテスマを

受けられた方でした。病は治るものではなかったのです

が、痛みから想像できない内に秘めた優しさと信仰に篤

い方でした。

加茂満州雄さんは、齊藤先生時代から役員をされてき

て、信徒のリーダー的存在でした。職業は洋服の仕立て屋

をされていました。教会に来られるときはいつも背広を着ら

れきちんとされていてとてもダンディな方でした。礼拝を大切

にされる姿勢をいつも思わされました。ご自宅は東福岡教

会の近くで、いずれ家の近くにと言っておられたが最期まで

古賀教会員として歩まれました。病気で入院されていた以

外はほぼ休まず教会生活を送られました。役員会の中でも、

多くは語られないが、牧師のことになると、口調は穏やかで

あるが最後は「牧師を守らんと」と言われたことが印象に残

っています。

私の知る古賀教会の先達者は、神さまの前に真っ正直に

生きられ、教会に尽くしてキリストにある信仰を捧げられた

方でした。

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