「初夏のキリスト教の集いと講演会を前にして」 青山絹代
昨年の12月3日と10日の週報「土の器」に、泉牧
師が濱野先生の研究論文を引用して寄稿されまし
た。その中に「『エルサレムでともに祈り会』では、
ユダヤ教、イスラム教、キリスト教の教役者が集ま
り、同じ聖書の箇所から、3つのメッセージを聞き
あい、それぞれのスタイルで共に祈る集まりがあり、
そこではラビ(ユダヤ教指導者)とイマーム(イスラ
ム共同体の指導者)が握手をしているそうだ。」とあ
りました。私たちは宗教的対立がこの争いを複雑に
していると思いがちですが、旧約聖書のレビ記19:1
3には「復習してはならない。民の子らに恨みを抱
いてはならない。隣人を自分自身のように愛しなさ
い。わたしは主である」(協会共同訳)とあります。
もし、このみ言葉をユダヤ教・イスラム教・キリス
ト教の教役者が心を一つにしてメッセージされてい
るのなら幸いだと思いました。その尊い働きと集う
人々が守られますように。
しかしながら、国家対国家、民族間の争いの和解
の難しさはこれまでの歴史を見ても絶望的な思いに
なります。争いからは何も良い物が生まれないこと
は誰もが分かっているはずなのに、現実には高い壁
により物理的に分断された地域があり、定住地から
逃れるしかなかった人々がいます。そこでの暮らし
がどうなのか、力の弱い人々が自分たちを守る術は
あるのか、多くの命が失われ、子ども達が孤児にな
っています。個々の繋がりは脇に置かねばならない
状況で戦地に向かう兵士、自分の願いとは裏腹の行
為を余儀なくされている人々もいるでしょう。「私
は自分の内には、つまり私の肉には、善が住んでい
ないことを知っています。善をなそうという意思は
あっても、実際には行わないからです」(ローマ7:1
8,19)このパウロの叫びが胸に迫ります。
次週23日の特別主日礼拝は、実際に現地へ赴かれ
た西南学院大学神学部教授の濱野道雄先生を招いて
「『敵』を愛しなさい:ガザの平和を覚えて祈る」、
講演会は「パレスチナとキリスト教」と題して行われ
ます。プログラムを通して厳しい現実の課題と向き合
い、解決の知恵が与えられることを共に祈りたいと思
います。また、礼拝の始まりにハンドチャイムで「Dona
nobis pacem(我らに平和を与えたまえ)」を賛美しま
す。このラテン語の讃美歌の歌詞は「Dona nobis pacem」
を何度も繰り返すだけです。神様の憐れみにより平和
の実現を切に祈る賛美です。
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