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「土の器」 内山賢次

2023年2月16日、辺戸岬から与論島を眺めた。ヤ

ンバルクイナの彫像の近くの「祖国復帰闘争碑」の

碑文に血がたぎった。“全国のそして全世界の友人

へ贈る”と題した石碑は沖縄県祖国復帰協議会が19

76年4月28日建立した。☆「吹き渡る風の音に耳を傾け

よ。権力に抗し復帰を成し遂げた大衆の乾杯の声だ。打ち

寄せる波涛の響きを聞け。戦争を拒み平和と人間解放を

闘う大衆の雄叫びだ。「鉄の暴風」やみ平和のおとずれを

信じた沖縄県民は米軍占領に引き続き1952年4月28日サ

ンフランシスコ「平和」条約第3条により屈辱的な米国支配

の鉄鎖に繋がれた。米国の支配は傲慢で県民の自由と

人権を蹂躙した。祖国日本は海の彼方に遠く沖縄県民の

声は空しく消えた。われわれの闘いは蟷螂の斧に擬された。

しかし独立と平和を闘う世界の人々との連帯であることを信

じ全国民に呼びかけ全世界の人々に訴えた。見よ平和に

たたずまう宜名真の里から27度線を断つ小舟は船出し舷

々相寄り勝利を誓う大海上大会に発展したのだ。今踏まえ

ている土こそ辺戸区民の真心によって成る沖天の大焚火の

大地なのだ。1972年5月15日沖縄の祖国復帰は実現し

た。しかし県民の平和への願いは叶えられず日米国家権

力の恣意のまま軍事強化に逆用された。しかるが故にこの

碑は喜びを表明するためにあるのでもなく、ましてや勝利を記

念するためにあるのでもない。闘いをふり返り大衆が信じ合

い自らの力を確かめ合い決意を新たにし合うためにこそあ

り、人類が永遠に生存し生きとし生けるものが自然の摂理

の下に生きながら得るために警鐘を鳴らさんとしてある」。☆

沖縄は1945年8月の日本敗戦からGHQの支配下に置か

れ1952年から1972年の20年間は日本ではなかった。

敗戦後、平和が戻るどころか米軍に占領され軍事化

していった。日本政府は沖縄を切り捨てた。摂理の

裡で家族と共に暮らすことのできないウクライナの

人々が重複する。☆大学に入学した1968年の最初の

語学授業の日、白ヘルメットの学生2名が教授の授

業を押しのけて“われわれはー、オキナワをー、取

り戻すまでー、闘うー、”とアジ演説が始まった。

オキナワ返還闘争とは何か、安保条約ハンターイ、

ベトナムに平和を!、学生運動の洗礼の始まりであ

った。☆2月16日、日没後、国頭村から東村、辺野

古に向かって車を走らせた。対向車もいない道路脇

に警備員らしき者がぽつんと鉄条網の前に立ってい

る。バプテスト連盟機関紙「バプテスト」4月号

「沖縄基地課題を共に考える116」に、“2/13~17日、

在沖米海兵隊、第1海兵航空団、陸自も参加の大規模

「ジャングル戦演習」県内実施”“加速する沖縄再戦場

化。今も残る戦争の傷痕。復活の主は昨日も今日も『平

和』と挨拶しながら、わたしたちにその身体の傷を示

す”と谷本仰さん(南小倉教会牧師)がきっかりと記録

されている。☆薄暮の光景がジャングル戦演習の地域

であったかどうかは定かではないが、旅をした僕の記

憶にはしっかり残った。☆記録されなければ記憶され

ない。記憶されれば遺産となる。遺産は継承される。

継承は平和を生みだす。受け継ぎ平和の理想を担い立

つ。

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