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「奴隷からの解放」 木村憲子

「奴隷」とは、人間としての権利、自由が認めら

れない。人間でありながら、人間としての名誉、権

利、自由を認められず、他人の所有物としてとり扱

われる人のことである。

ハガルはエジプト人の「女奴隷」であった。特に

女奴隷は、古代権力者の閨房(けいぼう)(寝室を指

す)のために従事していたとされる。ハガルの場合

は特に女主人サライの侍女として仕えていたこと

で、重労働的な働きでは無かったにしても、サライ

からはハガルの名前を一言も発せられてないことを

見ると、ハガルは人間的な扱いをされていなかった

隷属状態だったと言える。

奴隷制度はかなり古くからあったとされる。「イ

スラエルの奴隷制度は、他国の同時代と比べて、著

しく人間的なものあったこと。さまざまな特権が認

められていた。主人と奴隷との交わり、しばしば非

常にあたたかいものであったとある。特に新約の時

代は主人も奴隷も神のみまえでは平等であることを

述べ、主人たちは、神は人をかたより見ないのだか

ら、奴隷を虐待してはならないと教えている。(エ

ペソ6:9、コロサイ4:1)・・・(聖書辞典抜粋)。

イスラエルの人々は、数百年にわたってエジプト

の圧政に苦しみ、劣悪な労働条件で働いていた。彼

らは神に助けを何度も求めて叫んだ。神はその声を

聞かれ、モーセに命じて民をエジプトから連れ出さ

れ、奴隷状態から解放されたのでした。それが出エ

ジプト記である。

ハガルは自らサライのところから荒野へと逃亡し

たが、神の使いが「サライの女奴隷ハガルよ。…」

と声をかけられ、サライの元へ戻ることを言われた。

ハガルにとってそこは以前の奴隷状態ではなく、神

の約束(子孫の繁栄)を頂いたことで心の内は自由へ

と解放されたのではないでしょうか。彼女の決心は、

次なる希望へと導かれた。

わたしたちも罪の中に生きていた(神に逆らって自我

中心の生き方)ときは、罪の奴隷ともいえる状態。しか

し、主の名を呼び求める時、罪なきお方イエスさまが

私たちのために十字架にかかれたことは、もはや私た

ちが罪に縛られることなく、神の愛に生きるものとし

て変えられ、解放されているのです。

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