「平和への道」 泉清隆
沖縄に連帯しているゴスペルアクションに参加し
ている関係で「平和:命こそ宝」のテーマで6月に
西南学院大学のチャペルの依頼を受けました。その
講演依頼書の中に昨年の同時期に講話をされた、前
ミャンマー・バプテスト連盟理事長で西南学院神学
部非常勤講師のマウマウイン氏のメッセージが載せ
られてありましたので訳しました。「平和、川のよ
うに」です。
「聖書はなぜ平和と川を結びつけて考えているの
でしょうか。不思議です。福岡のような山あいの源
から緩やかに流れる川は、とても爽やかで平和な気
持ちにさせます。川は清水が絶え間なく流れ続ける
爽快で常に新しいものです。流れる川に平和を現し
ていることは創造主が平和の源である事をすべての
人々が知る神の恵みだと思います。
平和は確かに崇高なものであり、また最も必要と
されているものです。一人の賢人の言葉は注目に値
します。『平和への道はない、平和こそが道である。』
聖書の中に平和の君と呼ばれるイエスが、『わたし
は道であり、真理であり、命である』と述べている
ように、キリスト教徒にとっても良い参考になるか
もしれません。
そうです、私たちは皆、自分の生活、家庭、地域
社会、そして世界の平和を望んでいます。しかし私
たちはどうやってこの平和を達成するのでしょう
か? 聖書は真の平和を達成する唯一の方法はイエス
・キリストを通してであると教えています。ヨハネ
による福音書14章27節でイエスはこう言われていま
す。『私は、平和をあなたがたに残し、私の平和を
与える。私はこれを、世が与えるように与えるので
はない。心を騒がせるな。おびえるな。』イエスは、
平和は要求することではなく、捧げることによって
達成できると言っています。なぜなら平和を達成す
るイエスの方法は、身代わりの苦しみを通して捧げ
ることだからです。
これはイエス・キリストの体である教会のあり方で
もあるはずです。なぜならそれは神の道だからです。
平和の神学者マルティン・ブーバーは正しく繰り返
しています。『平和を実現する人たちは神の同胞です。』
願わくは主なる神が私たち全員を平和を実現する者
となるよう祝福してくださいますように。アーメン。」
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