「御国の祝宴に招かれて」 金子純雄
- kogabaptist
- 2023年4月14日
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私事ですが、先週12日は父の召天記念日でした。
敗戦の翌年ですから77年も前のことです。
病弱な父でした。牧師でしたが、教会の講壇に立
つ父の姿はわたしの記憶にはありません。小康を得
て、連盟の前身・日本バプテスト西部組合の仕事に
関わったり、西南学院に勤めた一時期もあったよう
ですが、長く肺結核を患い、病臥中に福岡大空襲に
見舞われて家族5人、無一物の状態で郷里の田舎に
寄寓、父は10ヶ月後に亡くなりました。教会もな
くクリスチャン仲間もいない上に、葬式を出す力も
無いわたしたちは棺も入手できず、代用の茶箱に遺
体を収めて繩をかけ、2歳年上の従兄と私が竿の前
後を担いで、村の焼き場に運びましたが、棺の軽さ
に驚いたことを覚えています。山中の焼き場は無人
で、炉も壊れていました。外に積まれていた薪の上
に茶箱を置き、着火してそのまま帰宅、翌日収骨に
行きました。田舎にいる間、遺骨は床の間に安置さ
れたままでした。
敗戦直後の混乱した世相の中、遺骨すら戻ってこ
ない戦死者の家族も少なからずいた時勢です。(妻
の父もそうだったことをお聞きくださった方もおら
れると思います。わたしの従兄もガダルカナル島で
戦死、と聞くだけでした)。私たちだけが特別だっ
たわけではありませんが、父のことを思い起す時に、
私は惨さや悲しみより、懐かしく、むしろ暖かい気
持ちに満たされます。
空襲に遭う前でしたが、小康を得た父が、母や私
や弟妹を枕元に呼んで聖書を読み、話してくれたこ
とがありました。話の内容は覚えていませんが、父
が示してくれたのは詩編84篇でした。文語訳聖書
ですが「万軍のエホバ(主)よ、汝の帷幄(あげぼり
=住まい)はいかに愛すべきかな。わが霊魂(たまし
い)は絶入るばかりにエホバの大庭を慕い、我が心
わが身は生ける神に向かって呼ばう(1節)」「汝の
大庭に住まう一日は千日にも勝れり。我は悪の幕屋
に居らんよりは、寧ろ我が神の家の門守りとならん
ことを欲(ねが)うなり。そは神エホバは日なり盾な
り。エホバは恩と栄光とを与え、直く歩む者に善物
(よきもの)を拒み給うことなし。万軍のエホバよ、
汝に依頼む(より頼む)者は幸いなり(10-12節)」は
今も口をついて出てくるみ言葉です。
父の最後の言葉は「母さん、美味いものが沢山あ
るよ。子供達に食べさせてやってくれ」でした。熱
にうなされた幻覚であり、うわ言だったかもしれま
せん。
しかし、わたしは、その言葉の背後に、「天の国は、
ある王が王子のために婚宴を催したのに似ている」(マ
タイ22:1-14)と言われた主イエスのお言葉とその饗宴
に招かれた父を思い、御国を身近に感じるのです。
もう一つ、父の遺体を収めた茶箱を焼き場に運ぶ山
道の路肩に一輪の山百合が咲いていたことが心に深く
刻まれています。唯一の手向けの花でした。手折るの
も憚れて通り過ぎましたが、その清楚な美しさに主イ
エスを思い、限りない慰めを抱かされたことを、「麗し
の白百合」(教団讃美歌496)とともに思い起します。
イースターを迎えるたびにわたしは復活の主の命に
与った父を思い、感謝と希望を新たにさせられます。
永遠の命に生きる喜びを思うのです。
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