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「御国の祝宴に招かれて」 金子純雄

私事ですが、先週12日は父の召天記念日でした。

敗戦の翌年ですから77年も前のことです。

病弱な父でした。牧師でしたが、教会の講壇に立

つ父の姿はわたしの記憶にはありません。小康を得

て、連盟の前身・日本バプテスト西部組合の仕事に

関わったり、西南学院に勤めた一時期もあったよう

ですが、長く肺結核を患い、病臥中に福岡大空襲に

見舞われて家族5人、無一物の状態で郷里の田舎に

寄寓、父は10ヶ月後に亡くなりました。教会もな

くクリスチャン仲間もいない上に、葬式を出す力も

無いわたしたちは棺も入手できず、代用の茶箱に遺

体を収めて繩をかけ、2歳年上の従兄と私が竿の前

後を担いで、村の焼き場に運びましたが、棺の軽さ

に驚いたことを覚えています。山中の焼き場は無人

で、炉も壊れていました。外に積まれていた薪の上

に茶箱を置き、着火してそのまま帰宅、翌日収骨に

行きました。田舎にいる間、遺骨は床の間に安置さ

れたままでした。

敗戦直後の混乱した世相の中、遺骨すら戻ってこ

ない戦死者の家族も少なからずいた時勢です。(妻

の父もそうだったことをお聞きくださった方もおら

れると思います。わたしの従兄もガダルカナル島で

戦死、と聞くだけでした)。私たちだけが特別だっ

たわけではありませんが、父のことを思い起す時に、

私は惨さや悲しみより、懐かしく、むしろ暖かい気

持ちに満たされます。

空襲に遭う前でしたが、小康を得た父が、母や私

や弟妹を枕元に呼んで聖書を読み、話してくれたこ

とがありました。話の内容は覚えていませんが、父

が示してくれたのは詩編84篇でした。文語訳聖書

ですが「万軍のエホバ(主)よ、汝の帷幄(あげぼり

=住まい)はいかに愛すべきかな。わが霊魂(たまし

い)は絶入るばかりにエホバの大庭を慕い、我が心

わが身は生ける神に向かって呼ばう(1節)」「汝の

大庭に住まう一日は千日にも勝れり。我は悪の幕屋

に居らんよりは、寧ろ我が神の家の門守りとならん

ことを欲(ねが)うなり。そは神エホバは日なり盾な

り。エホバは恩と栄光とを与え、直く歩む者に善物

(よきもの)を拒み給うことなし。万軍のエホバよ、

汝に依頼む(より頼む)者は幸いなり(10-12節)」は

今も口をついて出てくるみ言葉です。

父の最後の言葉は「母さん、美味いものが沢山あ

るよ。子供達に食べさせてやってくれ」でした。熱

にうなされた幻覚であり、うわ言だったかもしれま

せん。

しかし、わたしは、その言葉の背後に、「天の国は、

ある王が王子のために婚宴を催したのに似ている」(マ

タイ22:1-14)と言われた主イエスのお言葉とその饗宴

に招かれた父を思い、御国を身近に感じるのです。

もう一つ、父の遺体を収めた茶箱を焼き場に運ぶ山

道の路肩に一輪の山百合が咲いていたことが心に深く

刻まれています。唯一の手向けの花でした。手折るの

も憚れて通り過ぎましたが、その清楚な美しさに主イ

エスを思い、限りない慰めを抱かされたことを、「麗し

の白百合」(教団讃美歌496)とともに思い起します。

イースターを迎えるたびにわたしは復活の主の命に

与った父を思い、感謝と希望を新たにさせられます。

永遠の命に生きる喜びを思うのです。

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