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「思い合って歩む」 松藤真理奈

聖書の言葉に、「喜ぶものと共に喜び、泣くもの

と共に泣きなさい」(ローマの信徒への手紙12章

15節)があります。

パウロの勧めは、「喜び」「泣く」。それで誰かと心

を合わせ、「互いに思いを1つにし、高ぶらず、身

分の低い人々と交わり」を持つこと。

「喜ぶ」も「泣く」も、どちらも感情を表す言葉で

す。では、どうしてパウロさんは、手紙に「喜ぶ」

「泣く」を使い、「笑う」や「怒る」を書かなかっ

たのでしょう?

私たちは共に「笑う」ことができます。誰かと一

緒に笑う時、幸せを感じます。テレビで面白いもの

を見て一緒に笑う。同時に笑うことで思いを一つに

できる。また、共に「怒る」ことで思いを一つにす

ることも出来ます。スポーツ観戦やゲームの勝ち負

け、誰かの発言に対する共感などで、「ふざけるな」

「面白くない!」と怒りを発することで一致するこ

ともできる。

しかし、神様が望んでいるのは、他者を「笑う」

ことでも、「怒り」で心を合わせることでもない。

他者と共に「喜び」、他者と共に「泣く」こと。

「喜び」や「泣く」には、誰かを想い、その相手へ

の想いがあふれるような心が必要になる。つまり、

自分以外の誰かの気持ちを想像し、相手の気持ちを

自分の心の中に置く。それで思いを一つにしなさい。

そう私たちに勧めているのではないか?

私たちが望まれているのは、「怒り」や「笑い」

を用いて、自分の気持ち1番で思いを一つにするこ

とではないのです。私たちの「共に」は、互いに相

手に必要以上にかっこよく見せる必要もないし、自

分のほうが上とか下とかもない。勝ったとか負けた

とか比べるための「共に」ではなく、目の前にいる

その人を想う気持ちからはじまる「共に」なのです。

大切な絆(繋がり)になるもの。だから、聖書は、「喜

ぶものと共に喜び、泣くものと共に泣きなさい。」

というのです。気持ちの分け合いっこをしなさいと

勧めるのです。

最近は「かっこいい」ものを求める人が多い。で

も、悩んだり、落ち込んだりすることも、決して悪

い事ではない。

だって、私たちが悩むのは、もっと良くなりたいと、

自分をしっかりと見つめる力があるということだから。

そんな私たちが悩みを抱え歩み出すとき、聖書は伝え

ている。「だから。共に思い合って喜び、共に心を合わ

せて泣き、歩みなさい」と。

2023年、そんな神様の勧めにふさわしい、生活

になりますように。「愛はすべてを完成させるきずなで

す」(コロサイの信徒への手紙3章14節)。そんな繋

がりをもって平和が訪れますように。

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