「捧げもの」 内山信子
チャップリンの映画「ライムライト」の中で、彼
が踊り子にいうセリフではないが、「some money」
は欲しいが、清貧に甘んじて生きようと決めたのは、
いったいいつのころだっただろうか。
今年度教会の財務をお引き受けすることになり、
数字と対峙しながら改めて信仰を問われている。久
しぶりに信徒の手帳(教会員手帳)を取り出しページ
をめくってみた。教会生活の3番目の中に「献金」
という箇所がある。『私たちが持っているものは、
お金も、時間も、才能もすべて、神から与えられて
いるものです。…
献金は、私たちが神の栄光のために「自分自身を
捧げる」信仰の具体的な表れです。お金の使い方に
その人の人生観、価値観が表れます。主もまた「富
は、天に積みなさい。あなたの富のあるところに、
あなたの心もある。」と言われました。…まず収入
の十分の一をささげて神に対する信仰をあらわし、
残りを用いて神のみ心にそった生活をします。Ⅱコ
リント9・6~8
今年で40年になるだろうか「アジアを考える会・
北九州」という草の根のグループでささやかな活動
をしている。ペシャワール会での中村哲医師の活動
を応援すること。もう一つは故岩村昇医師が提唱さ
れたPHD運動で、アジアからの研修生との交流・支
援を目的とした国際社会福祉活動であるが、毎冬、
小学校や地域で彼らを受け入れ、小さな国際交流活
動を続けている。この活動の中に「今まで自分の為
だけに使っていた時間・技能・財などの10パーセン
トをささげ、平和(Peace)・健康(Health)を担う人
づくり(Human Development)をすすめ共に生きる社
会をめざす)」とある。
私たちは、労働の対価としての収入や、今までの
暮らしの中でそれに応じた年金などの収入、さまざ
まであるが、その収入を、暮らしの中で大切に使い
ながら、献金を捧げている。『収入・・・教会が宣
教の技をしていくために必要な費用は、献金によっ
てまかなわれます』とあるように、祈り心から捧げ
たいものだと思う。
有り余るお金の中から、献金しても全く響かない
多額のお金よりも、僅かでも精一杯の献金を捧げて
欲しいといわれた。(マルコ12:41 レプトン2枚)
お金は誘惑多く、また厄介なものでもある。欲望
には際限がない。天使の顔をした悪魔のささやきに
絶えず悩まされている、罪深い自己がいる。
『支出…それぞれの教会のために用いる事も大切です
が…協力伝道のために…特に牧師、伝道者を十分に処
遇することは教会の務めです。』とある。現在の牧師給
については、教会として精一杯の努力ではあるが、世
間一般とは乖離していると思われる。また、教会堂が
献堂され先達の信仰が結実されたが、その継続的な維
持管理などの費用が必要不可欠である。今後を見据え
て長期的な展望を話し合い、必須の課題として受け止
め共に祈り続けたい。
バプテスマを受けて来年で40年、遅々として信仰の
高みに行けず、裾野を彷徨っている自らを省みる日々。
捧げものが心からの喜びとなるよう信仰を共にする仲
間に支えられ、歩みたい。
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