「教会学校月間を迎えて」 泉清隆
私は2015年から九州バプテスト神学校で学生の皆
さんと共に学んでいます。最初は「神学入門」を担
当していましたが、2018年からは「教会教育A」を
担当しています。テキストとしてルシアン・コール
マンの「なぜ教会は教えるのか…教会の教育的使命」
を読んでいます。
小林洋一氏は「『キリスト教教育とは何か』とい
う問いに対して、それはつまるところ、人間教育に
よる教養の形成と言えるのではないか。人間とは何
か。人間の究極目標についての探究、人間が人間で
あることを学ぶということである。その場合の人間
教育には、真に神を神とする、それが人間が人間で
あるために大切なことであるという前提がある。人
間の生活はその人が何を「神」とするかによって決
まるわけで、人間がお金に心を奪われ、それを敬い、
それに振り回されて、非人間的になってしまうとい
う本末転倒が起こってしまうこともある。」と書い
ておられます。
私もキリスト教教育を人間教育と考えます。人間
の事を新約聖書のギリシャ語ではアンスロポスと言
います。このアンスロポスは「神を見て生きる」と
言う意味です。他のものを見て生きるのではなくて、
神を見て生きると言うことです。わたしたち教会は
イエス・キリストなる神を共に見るために聖書を学
びます。
以下、ルシアン・コールマンの本から引用します。
「イエスは教えるために来られた。ナザレのイエス
は幅120キロ、長さ240キロの小さな田舎で生涯を過
ごされた。しかし彼の目的は全世界を包括するもの
であった。イエスはどちらかと言えば、無名の人で
あった。しかし彼は、人類の歴史で最も重要な人物
になった。軍隊を組織したことも、政治改革を目論
んだことも、富を蓄えたことも、本を書いたことも
一度もなかった。しかし地上に生きた他の誰よりも
大きく人間の経験の軌道を正し、心を傾けられた。
イエスの公生涯は3年に満たない。しかしその影響は2
000年近く続いている。どのようにして、そんなことが
できたのだろうか。そのような短期間にどのようにし
てそんなに多くを成し遂げることができたのか。どん
な方法を用いたのだろうか。この間いに答えるには、
イエスの生涯を研究するために最初に記録した資料・
福音書に立ち帰るべきである。福音書の中に、その答
はまことに明らかに見えてくる」。
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