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「無宗教の危うさ」 泉清隆

朝日新聞のアエラドットの記事からまとめました。

「日本は伝統宗教とされる仏教や神道に対しては抵抗

の少ない国だ。しかし安倍晋三元首相の銃撃事件に端

を発して、新興宗教と政界のつながりや高額な献金被

害が明らかになるにつれて、「宗教」という言葉への

警戒感が高まっている。その中で「自分は無宗教です

が」と、前置きをする人が目につくようになった。こ

れは「無宗教」ということで自分を安全地帯に置こう

としている印象がある。しかし、相手の国籍や文化が

異なる状況で、「自分は無宗教です」と口にする場合、

使う単語によっては嫌われたり怒らせたりする可能性

もある。日本の感覚とはまるで違う。インターネット

の辞書で「無神論者」を検索すると「atheist(エイシエ

スト)」という単語が出て「I'manatheist(私は無神論

者です)」となる。しかし、海外で無神論者は「神を

おそれない傲慢な人」「不遜な考えを持つ人」という

ふうに受け止められている。

筆者の多賀氏(※)が外務省での研修時代に、副所長

が「君たちのなかで、外国の人に対して『自分は無宗

教主義者だ』と言いたい人はそう伝えなさい。ただし、

相手から反論が出てくるので、それに答える覚悟が必

要である」と教えられた。実際、多賀氏が英国を訪れ

た時、謙虚な気持ちも込めて「I'm an atheist(私は無神

論者です)」と説明したところ、同世代である20、30

代の英国人、米国人の若者も、下宿先のおばさんも、

「atheist」の単語に、みな一瞬凍りついたような表情

をして妙な雰囲気が漂ったそうだ。その時に、「無宗

教主義者・無神論者と伝えたければ、覚悟が必要だ」

と研修時代に教えられた言葉が脳裏によみがえったそ

うだ。「atheist」はラテン語に由来する単語で「a」は

否定、「the」は神を表わす。「ist」は人につける語尾で、

まさに「atheist」は「神そのものを否定する人」とい

う単語である。相手から「それはどういう考えなのだ」

と興味を持って質問される可能性がある。それでも「無

宗教である」と伝えたい気持ちが強いならば、「religious

(信心ぶかい)」を使い、「I'm not a religious person(私

は信心深くない)」ということになる。海外に駐在す

る外交官や企業のビジネスマンは、さまざまな事態に

対応するために現地で人脈を築き、情報を収集するの

も大事な仕事だ。相手の宗教や趣味、嗜好を把握した

上で接待や交渉に望むのは当然。特に宗教は絶対に把

握しなければ、相手を怒らせてしまう。

では、どのようにして相手の宗教を把握するのか。初対

面の相手と顔を合わせて唐突に、「あなたの宗教は何でし

ょうか」と質問するのはさすがに不躾(ぶしつけ)になる。

しかし2回、3回と顔を合わせて気心の知れた仲になれ

ば自然と、「昨日は教会に行った」「お祈りをする」とい

った話題が日常生活のひとコマとして登場する。どの宗

教であっても、信仰心の篤い地域の人たちは、生活の中

に宗教が溶け込んでいるからだ。」

私は自分の信仰を表明するということこそ、互いの信

頼関係を築く、また相手に安心を与える事になると思い

ました。

(※)多賀敏行(たが・としゆき)74年外務省入省後、大使館、国連勤務。

バンクーバー総領事、チュニジア、ラトビア等の大使を歴任。現在は中

京大学客員教授。https://dot.asahi.com/dot/2022082400091.html

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