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「癒しを求めて」 泉清隆

先日、日本バプテスト連盟の諸教会を覚えての祈

りのカレンダーで都城教会を覚えました。そこに協

力牧師として立花一志さんの名前がありました。私

の以前の教会で研修神学生だったのですが、現在は

都城市の近くの小林市の病院の整形外科医です。19

96年12月18日のペシャワール会報50号に「ペシャワ

ール滞在記…癒しを求めて」のタイトルで(当時)西

南大学学生、立花一志さんの記事がありました。

「今回、ペシャワール現地の訪問、滞在がゆるされ、

現地の医療現場を直接見る機会をいただいた。 (ペ

シャワール会事務所の)大名で水曜日毎の例会に加

えさせていただきながら生じてきた個人的な疑問が

あった。(それは)何故それぞれの仕事の後の疲れた

体で、何ら見返りのない仕事をするために喜んで集

まってくるのかという疑問である。あるとき、次の

ように感じた。活動の目的は現地において経済的、

社会的、地理的な問題により医療の行き届かない人

々へ、癒しの機会を与えることにある。しかし癒し

を受けているのは遠く維れたパキスタンとアフガニ

スタンのある町の一部の人々のみならず、この事務

局に集まってくる人々も何らかの癒しを求めてここ

に来ているのではと感じた。しかしこの非常に個人

的な理由付け、あるいはその活動に対して日本の側

で起こっている出来事についての勝手な思いは、中

村医師を中心とした日本人スタッフ、現地のスタッ

フたちの医療活動によって、実はこの私自身が何ら

かの癒しを受けていると無意識のうちに感じてお

り、またその癒しを望んでいることを意味していた。

これらの思いが私をペシャワール訪問へと導いた。

現地での印象深い出来事があった。ライ患者が足の

治療を受ける場面であった。金属製の医療器具が変

形した足の底を抉(えぐ)り、膿が流れ出るその時も、

患者は痛みを覚えなかった。しかし「痛みを覚える

べきこと」に無感覚になり、傷を作り、化膿し、抜

け落ち、与えられたままの自分とは程遠い姿となっ

てしまったのは彼らだけであるのか。その病原菌は

こっそりと私の心の中にも潜伏し巣食っているので

はと思い恐れを覚えた。水曜日の通院はこれからも

続きそうである。」

それに対して「青年を求む」という書き出しで、「西南

大学神学部の立花一志君は、9月~11月の3ケ月を、ス

タッフ・ハウスの雑務担当ワーカーとして働きました。

バザールでの買出しから運転、掃除・料理までこなし、

勤務時間以外にも語学や勉強に追われるワーカーを雑

務からずいぶん解放してくれました。立花君に続く青

年を求めます。」とありました。

ネットでは「九州大学付属図書館中村哲著述アーカイブ」にあります。

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