「目の中の丸太」 金子政彦
「人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにす
るためである。あなたがたは、自分の裁く裁きで裁
かれ、自分の量る秤で量り与えられる。あなたは、
兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目
の中の丸太に気づかないのか。兄弟に向かって、『あ
なたの目からおが屑を取らせてください』と、どう
して言えようか。自分の目に丸太があるではないか。
偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除け。そう
すれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目か
らおが屑を取り除くことができる。」
マタイによる福音書 7:1~5
1. 人を裁くな
山上の説教は、新約聖書「マタイによる福音書 5
章~7章」に記されている。マタイ7:1~5には「人
を裁くな」という小見出しがついている。イエスさ
まは、人を裁くのではなく、まず、自分自身の目の
中の丸太を取り除きなさいと教えておられる。自分
の目の中に入っているのは、おが屑どころか大きな
丸太であり、「あなたは、そんな状態では、何も見
えてはいないでしょう」と諭しておられる。
2. 起こったこと(試練)をどうとらえるか?
私たちには、日常生活を送る中で、不快や苦痛や
悲しみが襲う出来事が不意に起こることがある。私
たちは、それを試練と呼ぶ。うまくいかないことに
とらわれて、生活全体が重く、暗い印象になってし
まうこともある。私たちは日頃の出来事にどう向き
合い、どうとらえたらよいのだろうか。
3. 認知のゆがみ
アーロン・T・ベックという精神科医がいた。彼
は、私たちの認知(物事の認識)のゆがみについて、
10のパターンがあることを指摘した。①全か無かの
思想、②一般化のし過ぎ、③心のフィルター(ネガ
ティブな色眼鏡)、④マイナス化思考、⑤結論の飛
躍(心の読みすぎ、先読みの誤り)、⑥拡大解釈・過
小評価、⑦感情的決めつけ、⑧すべき思考、⑨レッ
テルはり、⑩個人化(悪い出来事が起きたとき、理
由もなく自分のせいにする)… これを読むとき、
私自身の認知の中にもこうしたゆがみがあることを
強く感じる。特に試練に直面したとき、自分のふが
いなさを責めたり、周囲のせいにしたり、八つ当た
りしたり… と「負のスパイラル」に陥ることが少
なくない。「人を裁くな。…偽善者よ、まず自分の
目から丸太を取り除け。」 …イエスさまのことば
が心に響く。
4. 正しい者は一人もいない ~にもかかわらず…
(ローマ6:8)
イエスさまは、当時、律法を守ることができず、罪
人とされ、社会の隅に追いやられていた人々に対し「神
の前で生きる者となりなさい」と教えられた。「人を裁
くな」といわれることばは、「あなたは、自分の目に丸
太が入っていることにも気がつかないで、人を裁くこ
とができるのですか?」というイエスさまの問いであ
る。その問いに、私たち一人ひとりはどう応えるのか、
自分のこととして考える必要がある。私たちは、自分
の力で、認知のゆがみを矯正する力がない。使徒パウ
ロも、そのことに気がついて苦悩している。パウロは、
その時、イエスさまとの結びつきに希望を見出す。イ
エスさまは、山上の説教の中で、神の愛に対する私た
ちの信頼がいかに大切かを伝えようとしておられる。
私たちが神に信頼して生きるとき、「認知のゆがみ」は
限りなく矯正されていくのだと思う。それは、「神が私
たちを愛しておられる」ということが、ゆがみようの
ない、絶対の真実だからだ。
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