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「神との対話」 泉清隆

島しづ子牧師(日本キリスト教団うふざと伝道所)

の言葉です。沖縄復帰50年を迎えるが、沖縄県全体

が要塞化されてしまった。私は毎日「光はどこに?」

と探し続けている。その中でエティ・ヒレスムに学

ぶということで、お話しされました。

エティ・ヒレスム(Etty Hillesum,1914-1943)は

オランダ生まれのユダヤ人女性で、アウシュヴィッ

ツ強制収容所で亡くなるまでの二年間に彼女がアム

ステルダムで綴った日記は、1981年にオランダで出

版されると、欧州で大評判となった。そこには驚く

べき神観が記されている。ユダヤ人虐殺を止められ

ない神に対してエティは言う。「神様あなたは無力

です。私たちを助けることはできない。だから私が

あなたを助けます。」エティは人類に起こる悲劇を

神のせいにしない。ユダヤ人に強いられた現実を引

き受け、嵐の中で神と対話しながら、最後の日々を

生きた。というのだ。日記の一部に次のような個所

がある。

8月26日(火)夕刻。私のなかにはとても深い井戸が

ある。その井戸の中に神がいる。ときにそこにたど

り着ける。でも大抵は石ころや瓦礫がその井戸を塞

いでしまって、神は埋め込められてしまう。だった

ら、また神を日の下に出してあげないと。(中略)こ

の神との場所だけは誰も私から奪うことはできな

い。

1942年7月3日「では、よろしい。この新しい確実性。

つまり、やつらが狙っているのは、私たち全員の抹

殺だということ。私はそれを受け入れる。いまそれ

がわかったが、この恐れで他の人々の心を重くしな

いようにしよう。私たちユダヤ人の身に起こってい

ることを他の人々が理解しそこなっていても、恨む

まい。以前に変わらぬ確信を抱いて仕事をし、生き

続け、人生には意味があると思っていよう...いかに

も、意味がある、と。」

世界がユダヤ人の悲劇を無視している、その現実

に絶望しないで生きた姿に驚かされる。日記の最後

の言葉は、「私たちは、あらゆる傷に対する香油の

役を喜んで果たさなければならない」というものだ

った。この収容所の生存者たちは、エティは最後の

瞬間まで「光り輝く」人間だったということを語っ

たそうだ。

世界中がユダヤ人虐殺に目を閉ざし、誰も止められな

い極限を、エティは神と対話することによって生き抜

いた。

沖縄へのひどい扱いや世界の難民の姿を目にするた

びに能天気な私でも落ち込む。互いの対話は閉ざされ

がちで、それぞれに孤独だ。エティのように神との対

話へ招かれている私たちは、そこから光を受けよう。

孤独とは対話する相手がいないことかもしれない。共

同の祈りと共に、神と自分の親密な時間を持ち続けて

歩みたい。

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