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「神のことを思う」 泉清隆

映画「日本国憲法」の中で、特に第9条に関して、

上智大学で学んだ事がある中国人バンチュインは「憲

法第9条はまるで、神が私たち人類に贈ってくれた宝

物のようです。」と言い、また、ダグラス・スミスは

「『軍隊で国民を守れる』というのは幻想である。20

世紀には2億人が、交戦権(人を殺す権利)によって殺

されている。そしてその2億人の大半は自国の非戦闘

員(市民)というのが歴史の事実である。『軍隊を持た

ない主義』は非現実的、ユートピア的発想だという批

判があるが、こうした事実を正しく見ると、『国家が

自分達を守ってくれる』という期待を抱くほうが非現

実的である。憲法第9条こそが新しい希望への現実的

な提案である。この日本国憲法はいろいろな事柄が重

なり合って出来たもので、だれがつくったというもの

ではないし、そのような次元を越えている」と言って

いました。

日本国憲法の第9条は高い高い平和の理想を語って

いて、人間の限界を超えている憲法であるというので

す。世界中がこの平和憲法をもったならば、どんなに

素晴らしいでしょうか。どんな事があっても、又どん

な事をされても仕返しをしない。戦わない。話し合い

をするということでしょう。それは夢物語でしょうか。

しかしこれがなくなったら何もなくなるのです。沖縄

の牧師が「憲法9条は神があたえ給うたものである」

と言いました。私はイエス・キリストを思いました。

憲法9条をそのまま守っていくという事は、「国家的

暴力にどのように対処するのですか。」という問いに

ついては何も答えはありませんということです。その

答えは神の沈黙です。イエス・キリストは十字架にか

けられる時に「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てに

なったのですか?」と神に問いましたが、何も答えは

ありませんでした。ですから、この憲法9条を改正し

て戦争ができるようにしてしまうと、それは、イエス

・キリストを十字架から引き下ろしてしまう事になる

でしょう。「こんな事はあってはならない」と人間が

人間を裁いて、実際は解決はできないのに、暴力で解

決してしまうことになります。

佐々木和之さんの「ルワンダで考える戦争と平和」

というメッセージの中で、今回のロシアのウクライナ

侵攻に関して、アフリカ諸国の学生たちから「なぜ、

ウクライナばかり報道されるのか、ウクライナの十分

一でもパレスチナ、イエメン、ミャンマー、アフガニ

スタンの事も報道してほしい」との意見があったこと。

そして今回のウクライナ危機が核武装を含め、更なる

日本の軍備増強の為に利用されていることを見逃して

はならないとありました。

イエス・キリストを十字架から力づくで引き下ろしては

ならないのです。イエス・キリストのペトロに対する叱

責が聞こえてきます。「あなたは神のことを思わず、人間

のことを思っている」私はこの言葉に励ましを受けまし

た。人間のことを思っているので不安になり心配して防

御するのだと思います(マタイによる福音書16:23)。

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