「神を思う、ゆえに我あり」 内山賢次
クリスマスカードに「無形の蓄積」という言葉を 拝借しました。「机の前に座った。何も頭に浮かば ない。今日止めたが机の前に座ったことは残る。次 の作品に必ず影響がある」。知の巨人と呼ばれる立 花隆の言葉です。この言葉は文学に限らずにあらゆ ることに通じると識者は評価しています。☆念頭に 目標を定め、毎日聖書を読むことに幾度も挑戦し、 立花の言葉に立てば座るだけで良しと背中を押され て気は楽ですが1ヵ月も続いたことはありません。 机の前には座ることは立花の確固たる著述家として の日常の行為ですが、彼にしても何もしないことが あることにほっとします。その無形の蓄積は空を打 つことですが、ステップになると立花は確信してい ます。☆「立花隆の言葉覚えている?」「ああ、何 だっけ、『沈黙の集積』でなかったかしら」と連れ 合いの言葉に驚きました。聖書を前にじっとひたす ら座る。曹洞宗開祖の道元(1200-1253)が生活の軸 を「只管打座」と呼んだことをふと連想したからで す。☆机の前に座しひたすらマルコ伝を読み続けて みました。マルコ伝は16章で構成されガリラヤと いう地方で民衆のために民衆と共に生きたイエスの 姿を「福音書」という新しい文学形式で描こうとし たものだと言えます。(「イエスとは誰か」高尾利 数)☆パウロ的なイエス理解やエルサレム教会的(指 導者イエスの弟ヤコブ)なイエス理解に批判的な要 素を含むマルコ伝は「神の霊とサタンとの戦い」の 構造で展開されています。イエスは霊によって祝福 され霊に押し出されてサタンの誘惑を受け天使たち に支えられて出発しました1:13。中風の患者を癒し、 罪の赦しを宣言し自分を人の子と呼んだのです2:1- 10。譬えで神の国(支配)の秘密は神側につくか、サ タン側につくかの決断にあると告げます4:10-12。 弟子たちが神側に決断する事柄を「ひそかにすべて を説明」4:34しますが「この方はどなたなのだろ」 うかと訝り続ける弟子たち4:35-41の言動には僕自 身は同調いたします。イエスは12人を派遣し「汚 れた霊に対する権能を授け」ました6:7。戦いが広 い地域で遂行されサタンはヘロデ王を用いて洗礼者 ヨハネを殺させました6:14-29。イエスは霊の力を 示し6:30-44、湖の上を歩いてサタンが支配する水 への支配を示すのです6:45-52。「舌の回らない人」 を癒し人々が「ますます言い広め」7:31-37て戦い は続きます。
8章では「4千人を養う」奇跡を行いますが、人々の 「天からのしるしを求め」るありさま8:11-12には思わ ずわが身を顧みます。弟子たちに「まだ悟らないのか」 8:21と苛立ちを表すイエス。とうとうペトロが「メシ ア」だと告白8:27-30しますがイエスはペトロを叱りま す8:33。彼が本当にはイエスの事柄を理解していない ことをイエス自身は知っていたからです。イエスにサ タンと呼ばれ叱られる8:33。弟子たちに本当に神の側 へと決断するように促す8:34-38…☆蓄積も集積もある とは言い難い中、「私の魂はただ神に向かって沈黙する。 私の救いは神から。(協会共同訳・詩編62:2)」と「神 のことを思わず、人間のことを思っている(8:33)」か ら宣教題を『神を思う、ゆえに我あり』とした次第で す。
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