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「絶望から希望へ」                    泉清隆

熊谷晋一郎(くまがやしんいちろう)さんは1977年に山口県生まれ、新生児仮死の後遺症で脳性まひに罹患し、以後車いす生活で小中高と普通学校で統合教育を経験し、大学在学中は全国障害学生支援センターのスタッフとして、他の障害者とともに高等教育支援活動をおこなう。東京大学医学部卒業後、病院勤務等を経て、現在は東京大学先端科学技術研究センター特任講師、現在も週に2日、民間のクリニックに小児科医として勤務し、小児科という「発達」を扱う現場で思考しつつ、さまざまな当事者と共同研究をおこなっています。

 脳性まひは出生時に呼吸が止まるなどのアクシデントが起きて、その後遺症で運動機能や姿勢を維持する脳機能に障害が生じた状態で、基本的に症状がそれ以上進行することはありません。アクシデントにはさまざまな原因があり、脳のどの場所が傷んだか、障害の表れ方も人それぞれなのですが、熊谷さんの場合は、「痙直型(けいちょくがた)」といい、言語障害はそれほど重くはないですが、常に身体が緊張していて、うまく体が操れないというタイプです。

 「絶望的な世の中に、どのように希望を見出せばよいでしょうか?」という質問に対して、熊谷さんが答えています。

 「自立」と「依存」という言葉の関係によく似ていますが、「希望」の反対語は「絶望」ではないと思います。絶望を分かち合うことができた先に、希望があるんです。先日、当事者研究の集会に参加したときのことです。精神障害や発達障害を持ち、絶望を一人で抱えてきた大勢の人たちに会いました。そのとき感じた感覚はなんとも言葉にしがたかった。さまざまな絶望体験を互いに話し、共有することで、「もう何があっても大丈夫だ」っていう、不思議な勇気というか希望のようなものが生まれる。話や思いを共有できたからといって、実際には問題は何も解決していないのだけど、それで得られる心の変化はとても大きいんです。私は長い間、失禁の問題を誰にも話せず、心の中に抱え込んでいました。

けれどある日のこと、外出先で漏らしてしまって、通りすがりの人にきれいに洗ってもらったことがあったんです。私は一人で抱えていた絶望を見ず知らずの他人と分かち合えたと思いました。このとき「世界はアウェー(敵地)じゃなかった!」という絶大な希望を感じたんです。たった一人で抱えてきたことを他人に話し、分かち合うことができるようになって、「もう大丈夫」と思えるようになったことは、私にとってとても大きかったですね。絶望が、深ければ深いほど、それを共有できたときに生まれる希望は力強いんですよ。


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