「聖書の翻訳」 内山賢次
日本に最初に伝えられた聖書はイエスズ会のフラ
ンシスコ=ザビエル(1506~52)が鹿児島上陸(1549)
したときに「マタイオスによる福音」の一部を日本
語に訳された写本でした。☆織田信長は仏教に対抗
しキリスト教には好意的姿勢でしたが、秀吉は警戒
を強めて伴天連追放令(1587)、領土侵略に不信を抱
いた究極は長崎で「26聖人」の処刑(1596)を顕著と
する弾圧政策を取りました。☆江戸幕府も禁教方針
を引き継ぎ2代秀忠が全国でのキリスト教布教を禁
止した1613年ごろ、新約聖書の全訳が完成し京都で
発行されました。3代家光は天草島原一揆(1637~38)
後、大弾圧政策を推し進めポルトガル人の来航を禁
止する鎖国政策(1639)を完了させ、1853年のペリー
浦賀来航までの215年間は国際的孤立政策の時代で
した。キリスト教信仰は壊滅しましたが1837年にギ
ュツラフの「ヨハネ福音書」が発行されました。☆
幕末には長崎浦上で1790年、1842年、1856年そして
1865(慶応1)年にはプティジャン神父が建てた大浦
天主堂に集まり信仰告白した浦上信徒(隠れ)への弾
圧(いわゆる四番崩れ)を続けていました。☆この背
景の下、明治新政府は神道国教化政策を打ち出して
天皇の神格化をはかり天長節、紀元節を祝祭日に新
設し1868(明治1~2)年には大弾圧を行い、欧米諸国
の抗議によって江戸幕府の禁教政策を撤回したのは
1873(明治6)年でした。☆幕末の開国政策(日米修好
通商条約1858)から新政府の初期の間に1859年ジェ
イムズ・C・ヘボン、サミュエル・R・ブラウンら宣
教師の来日、「翻訳委員社中」が組織されて1874年
に翻訳作業が開始されました。1871(明治4)年にジ
ョナサン・ゴープル「摩太福音書」を刊行、1880(明
治13)年にヘボンを中心とする日本語最初の全訳「新
約聖書」《志無也久世無志興》完成しました。続い
て1887(明治20)年、日本聖書協会の前身、聖書協会
日本支社は最初の旧新約聖書<いわゆる文語訳>を
出版しました。プロテスタント系の宣教師の伝道戦
略の熱量と息吹に感じ入ります。☆その後、教会の
創立と併行してキリスト教学校(女子学院M3,明治
学院、立教学院M7、フェリス女学院M3、関東学院
M17、横浜英和学院M13、桃山学院M17、大阪女学院M
17、神戸女学院M6、松陰女子学院M25、鎮西学院M1
4、 ⒓活水学院M など)が外国人居留地に創立され「聖
書」は必要不可欠だと想像します。☆1917(大正6)
年、新約聖書の改訂版、1937(昭和12)年日本聖書協
会発足、戦後は「口語訳聖書」(1955)、「改訳聖書」
(1965)が刊行されました。以降、委員会訳、個人訳、
部分訳が出版され1978年までには約150種の翻訳さ
れています。
☆日本の「聖書」は大別して聖書協会と聖書刊行会の
二者が出版しています。福音派諸教会は日本聖書協会
の1955年の「口語訳聖書」に対抗して、日本聖書刊行
会が1965年に新約聖書を翻訳した「新改訳聖書」を礼拝
で採用しています。更に(新)日本聖書刊行会は1970年
には新旧約が揃った「新改訳聖書」の発行、2017年に
は全面改訂を行い「聖書・新改訳2017」を発行してい
ます。☆一方の聖書協会は1978年 カトリック教会とプ
ロテスタント教会の協力で初めての「共同訳」を刊行
し不評でしたので、教会・礼拝で使用を目的とする198
7年に「新共同訳」を完成させました。聖書学、翻訳学
研究の進捗で30年後の2018年、『聖書協会共同訳』刊行
し今日に至っています。この二者以外に岩波書店が200
3年に“精確に原文を訳出”した『岩波版新約聖書』を
世に問い、“翻訳の普遍性”を掲げ続けている改訂新版
を20年後の2023年に発刊したことは特筆といえます。
Comentários