「言葉の意味」 泉清隆
去る1月8日~9日に開催された「九州バプテスト
神学校第10回教会形成協議会」において「日本の
精神風土における宣教と教会形成」というテーマで
今井尚生西南学院大学院長が講演されました。
内容は教会で用いられている言葉は日本語を母語
とする一般の人の心に自然に響くのか、理解できる
かという事です。
どういうことかと具体的に「夢」・「幻」という言
葉をあげられました。使徒言行録2章17節の「神
は言われる。終わりの時に、わたしの霊をすべての
人に注ぐ。すると、あなたたちの息子と娘は預言し、
若者は幻を見、老人は夢を見る。」聖書の理解とし
ては、夢と幻を通して、真理、神秘が明らかにされ
る場合、啓示として理解され、また預言や黙示と同
一視されるというのですが、日本の元々の理解では
夢幻(ゆめまぼし)は非常に儚(はかな)い事のたとえ
となります。しかし英語のdreamドリームの訳とし
て「夢」をvisionビジョンの訳として「幻」をつけ
た事により、マイナスの意味にプラス(肯定)の意味
が付加されたということでした。以前でしたら子ど
もが「野球選手になるんだ」といったら「野球選手、
夢みたいな事を言って」となっていたのに「そうか、
夢に向かって頑張れ」と変化しているという事です。
次に「愛」という言葉は元々は万葉集などの資料
より、意味としては執着している様を表す言葉であ
ると言うのです。仏語では十二因縁の一つで物をむ
さぼり執着する意味があります。しかし近代以後の
意味として、キリスト教の影響で神が人類のすべて
を無限に慈しむ事の意味となりました。これも英語
のloveラブの翻訳として「愛」になったからである
というのです。
そして新約聖書のギリシア語のアガペーとエロー
スのヒエロニムス、アウグスティヌス、近代の英語
の順での変遷の紹介がありました。
アガペー→caritas(チャリティの語源)→
amor Dei(神の愛)→love(愛)
エロース→cupiditas(キューピットの語源)→
amor sui(自己愛)→love(愛)
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