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「赦しの重さ」 泉清隆

8月11日の朝日新聞の記事に「無数の十字架が

並ぶマニラの英雄墓地に日本とフィリピンの約60

人が集まり花を手向けた墓には太平洋戦争終結から

8年後の1953年、日本軍のBC戦犯に恩赦を出して解

放したエルピディオ・キリノ元大統領が眠る。恩赦

から70年を記念して両国関係者が開いた式典で、越

川和彦・駐フィリピン大使は『恨みと報復より平和

と赦しの道を選んだ傑出した人物だ』とたたえた。」

とありました。以下、要約しながら記しますと、「日

米の激戦地となったフィリピンでは、国民111万人

が犠牲になったとされる。フィリピン軍による戦後

の裁判では、民間人殺害や性暴力などの罪で日本軍

の137人が有罪になり、半数以上が死刑判決を受け

た。執行されたのは17人。恩赦によって収監されて

いた105人が再び日本の土を踏んだ。キリノ氏は日

比友好の象徴的な人物である一方、日本でその存在

を記憶する人は多くない。

キリノ氏は、家族4人を日本軍に殺された。

なぜ、戦犯の命を救わなければならないのかと当時

の大統領は日本に対して厳しい態度だった。

時を経て、キリノ氏は1953年7月に声明を出した。

『私は妻と3人の子を殺された者として日本人を恩

赦する最後の一人となるだろう。私は自分の子孫や

国民に、我々の友となる日本人への憎悪の念を残さ

ないために、この措置を講じるのだ』。

キリノ氏のめいのアレリさんは言う。「戦争でい

ったい何があったのか、大統領は恩赦を通じて何を

望んでいたのかを若い世代に伝えていかないといけ

ない」

キリノ氏の恩赦について広島市立大の永井均教授

は、様々な政治的判断だったとみるが、同時にキリ

ノ氏の声明には、赦しに重きを置くキリスト教信仰

に基づく信念もにじんでいる。「友好を深めるだけ

でなく、フィリピンに強いた犠牲に対する責任の自

覚を日本に期待するものでもあった」とみる。

私が思うには、二度と悲惨な戦争という誤った道を

歩むことがないようにということであったと思います。

敗戦記念日を迎える時に心に留めたい事です。

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