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「静けき河の岸辺を」                    泉清隆

新生讃美歌515番の作詞者のSpaffordスパフォードはアメリカはシカゴで財をなした19世紀の若き法律家、投資家としても著名でした。そしてシカゴ長老教会の長老(役員)として真摯な信仰生活を送り、家庭では妻と一男四女に恵まれていました。

 そんなスパフォードに大きな試練が訪れました。長男が猩紅熱(しょうこうねつ)で亡くなったのです。それは試練の始まりでした。その数ヶ月後のシカゴの大火(the Great Fire of 1871)に見舞われ、投資していたリゾート地区の邸宅の一切が灰燼に帰してしまいました。そしてビジネス上の利益も1873年の景気後退によってさらに打撃を受けました。

 そして1873年11月、休暇を取って家族で、友人のムーディー牧師の英国伝道の旅に付きそうことにしました。夫妻と4人の娘の6名で大西洋を越える船旅の準備が整って、その出発直前、スパフォードに大切な仕事が飛び込んで来たので、後から家族を追う事にし、妻と娘たちの船を見送りました。

 しかし、 しばらくして、妻から突然「Saved alone」との英語で二語「我一人のみ生存」だけ記した電報を受け取りました。家族の乗った蒸気汽船が、大西洋の真ん中で衝突事故を起こし、沈没してしまったのです。妻のみ救助され4人の娘たちは助からなかったのです。急ぎ仕事を終えたスパフォードは、救出された妻がいる英国へ向かいました。大西洋を航海中に大型船に衝突され、12分後には沈没してしまったのは水深約5000mの海域でした。

 大西洋を横断しているとき、船長がスパフォードを船長室に呼び、彼の4人の娘が命を落とした海域を今通っていると告げたその時、スパフォードはこう書き留めて、祈りました。

 「どんなに悲しみが荒海の荒波のように私を襲って来てもわたしの魂は安らかです…」と。

When sorrows like sea billows roll…it is well with my soul…

その晩スパフォードは部屋に一人になり、義姉妹に「私のいとしい娘たちはここにはいません。あの子たちは、今は安全なところにいて、小羊(イエス・キリスト)に抱えられています」と手紙を書き送りました。

 まさに旧約聖書のヨブのような信仰を余儀なくされたスパフォードはその後も神を褒め称え続け、最後はエルサレムに移住し60年の生涯を閉じたということです。

「望みを砕くとも、心 安し 神によりて安し」

             (新生讃美歌515、2節)

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