『ロティ・ムーン』~世界祈祷週間によせて~ 塩見玲子
アメリカ人宣教師、ロティ・ムーンは、1840年12月に
アメリカのヴァージニア州で生まれました。友人から誘わ
れた特別伝道集会で、イエス様と出会いました。「これか
ら、神さまに従って歩みたいと思います。導いてくださ
い。」 ロティは一晩中神様にお祈りしました。/ロティは、
学校の教師になり、仕事をしながら、教会のお手伝いも
一生懸命しました。そして、まだ神様を知らない世界中の
人に、神様のことを伝えたいと考えていました。 宣教師
として中国に行っていた妹のエドモニアから手紙が来ま
した。「ここは神様のお話を一度も聴いたことのない人た
ちで満ちています。ここで神様を伝えることは大変です。
働き人が必要です。」 ロティは中国に行く決心をし、2ヶ
月の危険な船旅で中国に渡りました。初めはなかなか
話を聞いてもらえませんでしたが、神さまの愛を伝え続
けるうちに、人々は次第に心を開いていきました。 ロティ
はたくさんの村を回って、イエス様を伝え続けましたが、
中国はとても広く、手伝ってくれる人が必要でした。/ロ
ティは何度もアメリカに手紙を書きました。「バプテスト教
会の皆さん、宣教師を送ってください。聖書の話を待って
いる人がたくさんいます。働き人が必要です。そのための
お金が必要です。世界の人に伝道するために、献金を送
ってください。」そしてその手紙の中でクリスマス前の1週
間、世界の人のことを覚えて祈り、献金することを、提案
しました。/中国でのロティの働きを知り、たくさんのアメ
リカの女性たちが、この提案に賛成し、世界の人に神様
のことを伝えるために1888年に南部バプテスト婦人宣
教団体WMUが誕生し、みんなで力を合わせ、お祈りと
献金の活動を始めました。 これが『世界バプテスト祈祷
週間』の始まりです。/ロティは14年間アメリカに帰るこ
ともせず聖書の話しをしたり、病気の人の看病をしたり、
自分の時間と力の全てを中国の人々のために使い、たく
さんの人がイエス様と出会いました。/その頃中国では
飢饉が起こり、多くの人が亡くなりました。 ロティは自分
の食べるものも分けて助けようとし、体もだんだん弱って
きました。/1912年、弱ったロティを乗せた船が、上海
からサンフランシスコに向けて船出しました。そして12月
24日、クリスマスイブの日に、神戸の港に立ち寄った船
の中で、愛する中国のクリスチャンの名前を呼びながら、
神様の元に召されていきました。 40年間中国で伝道し
続けたロティ・ムーン、72歳の生涯でした。そのお墓には
『40年間中国伝道に捧げた者、死に至るまで忠実なる
者』 と刻まれています。
(日本バプテスト女性連合『2024年度世界バプテスト
祈祷週間資料』を再編集したものです)
「それでも主はともに…インマヌエル…」
この歌を武義和さんが作られた経緯を書かれています。「1997
年、高校を退職した私は、家族とともに1年間ノルウェーのユーピック
という小さな町で生活をしました。3人の子どもたちはそれぞれ現地の
小学校や幼稚園に通いました。帰国後の生活など大きな不安もあり
ましたが、その決断の時に私に与えられたみ言葉は『私はモーセと共
にいたように、あなたと共にいる。あなたを見放すことも、見捨てること
もない。』ヨシュア記1章5節と、9節『うろたえてはならない。おののい
てはならない。あなたがどこに行ってもあなたの神、主は共にいる。』で
した。このみ言葉に励まされ、押し出されるように出発をしたのです。こ
の約束の通り、無事に1年間を過ごせただけではなく、帰国後の10年
間も家族みな守られたのですが、胸を張って私は『やっぱり神さまが
助けてくださった!』とは言えませんでした。それは、私の歩みが、決し
て神さまや人の前で胸をはれるようなものではなかったからです。私
の歩みはこんな情けないものであっても、『それでも』主は共にいてく
ださった、という大きな感謝がこの歌になったのです。」
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