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カトリック史と聖書の付き合い方」 内山賢次

読書初めに昨年の12月に発行された「どろどろの

キリスト教」「どう読むか、聖書の『難解な箇所』」

の2冊を選んだ。前者は表題に惹かれ聖書の中の登

場人物の葛藤、しがらみその中から脱出していく生

の現実を期待したが、カトリック信徒の著者から66

年にローマ皇帝ネロによって処刑されたペトロとパ

ウロが迫害された後のローマ帝国の歴史の一端を知

った。ミラノ勅令313年、二ケア公会議325年、二ケ

アコンスタンティノプール信条381年、ローマ帝国

の東西分裂395年、ヘブライ語の旧約聖書がギリシ

ア語に訳された「70人訳」とラテン語訳聖書の存

在から更に、原語のヘブライ語からラテン語訳を提

案したローマ司教ダマスス1世。☆コンスタンティ

ヌス皇帝の庇護のもと、ミサは巨大な教会で、司祭

は豪奢な服、祭壇には薫香が捧げられた(p78)。「苦

難に耐え忍ぶキリスト教の美徳の対極」に対して真

理を求めて孤独に修行する隠修士、ローマ教会の首

位権つまりローマ司教(教皇)の役割はペトロから受

け継いだ神聖不可侵と認められた445年。殺害と短

命教皇で9年間に9人の教皇(p130)、投獄と破門、

毒殺また相互破門1054年でローマカトリックと東方

正教会に分裂。鎌倉幕府が興された前後の200年間

に8回の十字軍エルサレム奪還のために剣を取れの

教皇の命令と失敗の歴史、最後は1962年から5年ま

での第2ヴァチカン公会議の大改革で締め括ってい

る。☆平尾バプテスト教会協力牧師青野太潮氏の後

者はヨハネ伝21章15~17のイエスとペトロの日本語

訳の「愛している」の原文ではきちんと使い分けが

なされている。だからこそ三度目「も」ではなく三

度目「には」と訳出しなければと論を張る。イエス

が言葉を使い分け<アガペーとフィリアの愛>た意

味を深めることができると論は進む。☆読者にとっ

ては本書の冒頭からややこしいと思われるかもしれ

ないが神学者として訳出は忠実でなければならない

スタンスは全く不変である。聖書は相違、矛盾、齟

齬が明確にあるのでそのまま信じることは如何かと

断言する。新約聖書のギリシア語の原典は存在せず、

6000の聖書写本を比較検討の結果からギリシア語校

訂本がありそれも最後決定的ではない(P139)。

読者はそれを読んで解釈をしているのであり、聖書記

事の著者たちも無謬(むびゅう)ではなく、私たち人間

には絶対的な正しさはないと強調する。☆だからこそ

誤りをゆるされなくては生きてはいけない存在であり、

無条件で徹底的な神の愛とゆるしの宣言をされたイエ

スの言葉と振る舞いに、神はしかりと言われ「復活」

を現実にしたのではないかと展開している。☆パウロ

神学の第一人者の著者が贖罪論を福音の中心にするこ

とに対して読者は首肯し難いと思われる。彼の自説を

より広い読者と分かち合う(P275)新刊である。

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