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ミッション(宣教) 泉清隆

西日本新聞1987年9月7日に掲載された中村哲さん

の「地の果てから」第一回目「ティリチ・ミールと

の対話」不条理への復讐から後半を引用します。

「ある時、咳と喀血を訴えて連れてこられた青年が

いた。父親が治療を懇願した。明らかに進行した結

核で、放置すれば長くはないと思われたので、町に

下りて検査をうけ、きちんとした治療をうけるよう

に申しわたした。ところが答えて曰く「町でまとも

な治療がうけられるならあなたの所には来ない。第

一、チトラールやペシャワールに下るバス代がやっ

とで、病院で処方箋だけもらって、どうしろという

のか」。慣れというものは恐ろしい。日本で我々が

享受している医療がいかに高価でぜいたくなもので

あるか、保険診療に慣れている我々には理解を超え

るものがあった。山岳部の住民は自給自足で、現金

収入は極端に少ない。現金生活者でさえ、月収は平

均600~1000ルピー(5000~9000円)であるから、ま

ず日本流の診療は不可能と言ってよい。

これは一つの衝撃であった。しかも病人は彼だけ

でない。道すがら、失明したトラコーマの老婆や一

目でハンセン病とわかる村民に「待って下さい」と

追いすがられながらも見捨てざるを得なかった。こ

れは私の中で大きな傷となって、キャラバンの楽し

さも重い気持ちで半減してしまった。休暇の都合で

一足先にべースキャンプを下り単独で帰途についた

が、村々で歓待されると割り切れぬ重い気持ちはま

すます増幅した。

目を射る純白のティリチ・ミールは神々しく輝い

ている。荒涼たる岩石砂漠に点在する緑のオアシス

の村々は、さながら自然にひれふして寄生する人間

の鳥瞰図である。私は山と対話する。我々は地表を

這う虫けらだ。いかなる人間の営みもあなたの前で

は無に等しい。逆らえぬ摂理というものがあれば、

喜んで私は何かの義理を果たしましょう……そうつ

ぶやいた。

それは良心のうしろめたさから解放されたいとい

う自分の都合や感傷であったのかもしれない。また

村人の方でもそう深刻に考えず、あきらめの方が強

かったであろう。しかし、一時の熱ならさめもしよ

うと割りきって山を下りた。

その後の不思議な縁の連続は、5年後にこの北西

辺境に、いわばこの時の啓示によって私を呼びもど

したようである。当地への赴任は私のこの時の衝撃

の一つの帰結でもあった。同時に、このような、あ

まりの不平等という不条理に対する復讐でもあっ

た。」

中村哲さんはクリスチャンです。当初はJOCS(日本キ

リスト教海外医療協力隊)よりパキスタン、ペシャワー

ルに派遣されていました。最初の訪問はティリチ・ミ

ール登山でした。その時の住民の生活に衝撃を受けた

体験が綴られています。

わたしはこれはクリスチャン中村哲さんの神からの

召命だと思います。「ティリチ・ミールと対話する」と

ありますが、ご自分のなすべき働きに導かれた証しで

あると思います。最後に「不平等(不条理)に対する復

讐」ということばで、尊いミッション(宣教)を語って

おられます。誰もなしえなかった働きへと召されたと

思います。明日からの「平和パネル展」でこのスピリ

ットが伝わりますように。

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