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最高のたとえ 木村憲子

聖書には、麦に関するみ言葉がいくつもでてきま す。パレスチナでは古代から栽培されていた麦が食 事に欠かせない主食の穀物《パン》でした。人が生 きるに必要な命の糧です。しかし、イエスさまは「人 はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る 一つ一つの言葉で生きる。」(マタイによる福音書4 :4)また、「わたしがいのちのパンである。」(ヨハ ネによる福音書6:35)とも言われた。《パン》を 手に入れることが重要ではなく、神に従うこと、す なわちひとつひとつのみ言葉に聞き従うことは生き ることの意味を知らされるのです。なぜなら、命は 神さまから与えられるものだからです。 「種を蒔く人のたとえ」の聖書個所(マタイによ る福音書13:3~8)です。4つの地に落ちたそ れぞれの種の結果が記され、わたしたちに問いかけ ています。 ① 踏み固まれた道端に落ちた種→鳥に食べられま した。 ② 岩地に蒔かれた種→困難があるとすぐにつまず いた人。 ③ いばらが覆った地→種は芽を出したが、み言葉 を塞ぐため、実を結ばない人。 ④ 良い地にまかれた→み言葉を聞いて悟る人。種 は芽を出し、成長し、100倍、60倍、30倍と 実を結んだ。 古賀バプテスト教会は良い地であり、みなさんお ひとりひとりが神さまに導かれて今日もみ言葉を聞 いてここにおられるのです。良い地に蒔かれた種は、 今も多くの実を結ぶように成長させて頂けますか ら、イエスさまのみ言葉を聞いて従って行きましょ う。どんな課題があっても主にある希望が与えられ るのです。 イエスさまのたとえ話のなかで、実際にご自身を 種として表現されたのが、ヨハネによる福音書12 :24です。これは主イエスの十字架と復活を表さ れています。「一粒の麦は、地に落ちて死ななけれ ば、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を 結ぶ。」これが最高のたとえではないでしょうか。

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