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讃美歌21 372「幾千万の母たちの」 泉清隆

1.

幾千万の母たちの幾千万の息子らが

互いに恐れ、憎みあい、ただわけもなく殺しあう、

戦いの真昼、太陽もなまぐさく

2.

風吹きぬける焼け跡に、

幾千万の母たちは、帰らぬ子らの足音を

いつもむなしく待っていた。

戦いの真昼、まっかな陽が沈む

3.

むなしく裂けた天の下、

焼けてただれた樫の木が、

それでも青い芽をふいて、

神のめぐみをあかしした、

戦いはとだえ、夜明けは近づいた。

4.

幾千万の母と子の こころ合わせいまいのる。

自分の中の敵だけを おそれるものと なるように、

戦いよ、終われ、太陽もよみがえれ。

この賛美歌は『讃美歌第二編』(1967)のために新しく作

られた賛美歌です。作詞者の阪田寛夫さかたひろお(1925-2

005)さんは大阪に生まれ、中学2年の時に南大阪教会で受洗

しました。東京大学文学部を卒業し、民問放送勤務を経て

文筆活動に入り、従兄の作曲家・大中恩とのコンビで、童

謡(サッちゃん)、合唱組曲(わたしの動物園)(日曜学校の頃)

などの作品を世に送り出しました。放送劇、ミュージカル

などを経て1975年頃より小説に専念、『土の器』(芥川賞)、

『花陵』、『背教』、『バルトと蕎麦の花』などキリスト教を

主題とした作品の他に、『足踏みオルガン』『まどさん』(巌

谷小波文芸賞)、『海道東征』(川端康成文学賞)、『赤とんぼ』

などキリスト教に問わる詩人・音楽家の評伝風小説等の作

品があります。この賛美歌は、『讃美歌第二編』(1967)の編

集にあたって、「戦いの終わり」を主題とする賛美歌を、と

の依頼によって書かれたものです。

自分に賛美歌を書く資格があるかとしばし悩んだ阪田さ

んは、作詞依頼の手紙に対し、「逃げないで、身の廻りの事

実と、事実をそのようにあらしめている大きな力との問に

自分を追いこんで、うめき声でもいいから出してみてごら

ん」と諭されている感じを受けたといいます。作者自身が

眼にした焼け跡の街の様子、身近な人たちが戦争から受け

た傷、さまざまな思いがこめられて、この悲しみと祈りの

歌詞が生まれました。

『讃美歌21』収録にあたり、作者は当時をふり返って、「あの時

呼びかけて頂いたことが、自分が受けとめた以上に大きなもの

であったことを痛感して感謝しています」とのコメントを寄せ

ています(阪田氏より委員会宛、1997年8月)。

曲のPEACE ON EARTHはこの歌詞のために作曲され、『讃美歌第

二編』(1967)に収録されました。作曲者は大中恩おおなかめぐ

み(1924-2018)。作曲家・大中寅二の息子として生まれ、東京音

楽学校(現・東京芸術大学)で作曲を学びました。1955年には中

田書直氏等と共に「ろばの会」を結成し、子どものための音楽

の作曲に力を尽くしました。上記(サッちゃん)以外に(いぬのお

まわりさん)(おなかのへるうた)等の童謡、(煉瓦色の街)(島よ)

等の合唱曲など数多くの作品があり、芸術祭奨励賞をたびたび

受賞しています。(讃美歌21略解より)

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