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長崎に流れる殉教者たちの系譜 金子純雄

先々週、長崎在住の知人から明日の「長崎原爆の

日」の平和祈念式典で読み上げられる平和宣言の骨

子と被災者の一人である「聖母の騎士修道院」の小

崎修道士の手記のことなどを伝える新聞記事と一緒

に、1日早朝にNHKの「心の時代」で同修道士のこ

とが再放送されるので観てほしいと案内がありまし

た。録画して何度か見直しましたが、今年4月に9

2歳で天に召された同修道士が、柔和で慈愛に満ち

た表情の中に深い悲しみや痛みを、そして平和への

熱い思いを湛えながら、あの悲惨な被爆体験を子供

たちに語っている姿が深く心に残りました。同時に、

同修道士が所属していた長崎の「聖母の騎士修道院」

があのコルベ神父によって創設されたこと、「ゼノ、

死ぬ暇ない」で知られる蟻の街のゼノ修道士が属し

ていたことなども知りました。コルベ神父は1894年

ポーランドに生まれ、1930年に来日、長崎の浦上天

主堂に「聖母の騎士修道院」を設立、同修道院を通

して文書伝道に力を尽くし、1936年に母国の修道院

長就任のために帰国。ナチス・ドイツのポーランド

侵攻により、その活動が反ナチとみられて逮捕され、

あの悪名高いアウシュビッツ収容所に送り込まれま

す。収容所の悲惨な状況はフランクルの「夜と霧」

やエリ・ヴィーぜルの「夜・夜明け・昼」の三部作

などで良く知られていますが、ある時、収容所から

が脱出者が出たために、ドイツ軍が見せしめに10

名を無差別に選び、餓死監房に送ろうとした時、「あ

あ私の妻よ、子らよ」という悲痛な叫び声を聞いた

コルベ神父は「私が替わりましょう。わたしには妻

も子にいませんから」と自ら申し出て、餓死監房で

最期を迎えたのでした。

長崎はキリシタン迫害でも知られる地です。わた

しはかの地に流された幾多の悲惨な命の背後に、そ

れを決して無にすることのない十字架の主の「命へ

の道」を思います。私たちもその系譜に与っている

のでなないでしょうか。

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