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燃える炭火を彼の頭に積むこと

聖書のこの意味はちょっと難しいものがありま す。「あなたの敵が飢えていたら食べさせ、渇いて いたら飲ませよ。そうすれば、燃える炭火を彼の頭 に積むことになる。」ローマの信徒への手紙12章 20節。食べさせ、飲ませる事は良い事なので、良 い事には違いないと思うのですが、燃える炭火を頭 に積むのは虐待ではないかとしか考えられません。 この文脈では良くわからなくなります。いろいろな 解釈がありますが、箴言25章22節の「こうして あなたは炭火を彼の頭に積む。そして主があなたに 報いられる。」とある言葉が分かりやすいと思いま す。 聖書の書かれた時代は家の唯一の火は火鉢か粘土 の壷で灯し続けられていました。ですから木炭の炭 は燃やしつづけなくてはなりません。もしこの木炭 の火が消えたら、隣の家に火鉢か壺を持って、火の 付いている炭を借りに行かなくてはなりません。こ の地域の人たちは水瓶、果物や野菜のかご、火の付 いている壺などほとんどを頭の上に乗せて運びまし た。 隣人から新しい炭を受け取った後で、頭に火鉢を 持ち上げて家に出発します。もし隣人が本当に寛大 な人なら、その人は火鉢か壷に更に新しい熱い炭を 「積み上げる」のです。壺に燃えている炭を入れて あげます。普通の人は最低のごく小さい燃えさしを 与えるでしょう。

この聖書を書いたパウロは私たちに敵に食べさせ て、飲み物を与えるのは、食物と暖かさをえるため に、空の冷えた火鉢に、火の付いた炭を積み上げる ことと同じだと言ったようです。 私は以前は弟の家と牧師館が大変近い距離にあり ました。いろいろな物を借りに行ったり、貸したり しました。ある時は弟夫婦が旅行に行くというので、 弟の子どもたち二人を預かった事があります。

泉清隆

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