神を知る道を歩もう (詩編19編 2~11節)日本は宗教人口2億人以上と言われます。人口の約2倍になります。この特異性は、5年ごとに世界の主要大学が協力して18歳以上で無作為の人々1000人を対象に行われる宗教調査にも現れます。この調査の中に「神の存在」「死後の存在」についての問いがあり、「ある」との回答が、イスラム圏...
神のシャロームを! (ローマの信徒への手紙8:18~22)聖書はその冒頭で神による天地創造を記し、「見よ、それは極めて良かった」と御自分の手の業を絶賛しています。実に全被造物は神の喜びとして創造されているとの宣言です。この「極めて良い」あり様こそが「神のシャローム(平和)」なのです。完全な調和、完全な喜び、完全な関係、「シャローム...
キリストから迫り来る恵み (エフェソの信徒への手紙1:3~7)去る6月27、28日の二日間は、加来国生先生(筑紫野二日市教会牧師)をお迎えして「初夏のキリスト教の集い」が開催されました。私も、教会の方々による細やかな奉仕や、共に伝道することの苦労と喜びに与ることができて、感謝でいっぱいです。蒔かれた種がいつの日か実を結び刈り入れの時を...
幼子のような者に (マタイによる福音書11:25~30)主イエスは、「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」(マタイ11:28)と呼びかけてくださいます。この箇所はルカ福音書10章の並行記事から推測しますと、伝道に派遣された72人の弟子たちがイエスのところに帰ってきて報告した時に、主イエス...
十字架上のイエスの叫び (マルコによる福音書15:33~41)私たちは、自分が苦しむときに、心の底で「この苦しみが誰にわかるか」と主張する「自己」があることを否ません。そこには苦しみを受けることを不当とする他者への訴えが隠されています。そして、救いの手が差し伸べられることを当然のこととして期待しているのです。ところが、もし、人々から遺...
交わりの神に結ばれて (マタイによる福音書28:16~20)旧約の時代、人々が大切にした神の言葉は「シェマ(聞け)、イスラエル」と「十戒」でありました。「シェマ、イスラエル」には「我らの神、主は唯一の主である。」(申命記6:4)とあり、唯一神への帰依が謳われています。ところが新約聖書になると、神は「唯一」と共に、「父、子、聖霊」とし...