信仰への出発点 ローマの信徒への手紙8章12~17節
私たちがキリスト教信仰に近づこうとする時には、まず「研究(警戒)」の態度を取るのではないでしょうか。確かにそれはきわめて当然のことであり、また健全なことでしょう。たとえば相手が人間の場合でも、初対面の相手に対して「研究」するのは、当然のことであり、健全なことでしょう。...
「愛を語り続ける教会」 テサロニケの信徒への手紙一 3:12~13
今日はペンテコステ(聖霊降臨日)です。この日ペトロが語った説教を聞いて3000人もの人がバプテスマを受けて仲間に加わった、と使徒言行録2章41節に記されています。このとき、ペトロは特に目新しいことを語っていません。むしろ淡々とキリストの十字架と復活、そして今起こっている出来...
究めがたい神の知恵 創世記11章1~9節
19世紀ポーランドのユダヤ人でルドヴィコ・ザメンホフという舌を噛みそうになる名前の言語学者がおりました。彼のニックネームが「ドクトル・エスペラント」です。「希望の博士」とでも訳すのでありましょう。そういう時代が到来するかと「希望」を抱いた一人ですが、現実にはこのアジア諸国で...
ダイナミックな人生 使徒言行録1章3~9節
WHO(世界保健機関)はその設立当初(1948年)に「健康」についての定義を「身体的・精神的・社会的に完全に良好な状態であり、たんに病気あるいは虚弱でないことではない」としました。ところが21世紀を前にした1999年WHO理事会はこれに「動的」と「霊的」との言葉を付加し、「...
「聖霊に満たされた教会」 ペトロの手紙一 1:13~25
来る6月8日はペンテコステ(聖霊降臨日)です。この日を境に、福音が全世界に宣べ伝えられ始めました。 ところで、今朝の聖書(ペトロの手紙一)は今から1900年以上前のまだ年若い教会で、信仰者として歩み始めようとしている人たちに対してなされた説教であったと考えられています。...
「家」とは何でしょうか マタイによる福音書12章46~50節
「家とは何か?」と改めて問われますと、考え込んでしまいます。建物に関心を寄せる人もあるでしょうし、そこに住む人々を想い描く方もあるでしょう。「家」とは、ウ冠が屋根つきの建物、豕(いのこ)が猪や豚を表すので、「豚を飼う建物」に起源があるそうですから、「生計を同じくする人たちを...
キリストの愛に結ばれて ヨハネの手紙一 4章7~12節
一人では淋しく、二人でいると心地好く、三人になると争いが生じる、という経験をしたことはないでしょうか。人は一人では生きられませんが、多くの人の中でも生きることも難しいものです。人の集るところには上下関係が生まれ、主張が異なれば仲間割れが起きます。確かに様々な価値観を持った人...
平和とは何でしょうか? ルカによる福音書 24章36~49節
オバマ大統領が国賓として招かれ最大級の「おもてなし」がなされたそうです。両国にはお互いの国益を求めて駆け引きがあり、しかも、この出合いを注視する韓国、中国、ロシアなど、利害を異にする周辺諸国もあって、「おもてなし」に当る人々の労苦が偲ばれます。...
復活から生と死を読み解く ルカによる福音書 24章28~35節
歴史をひもとくというとき、私たちは古代から始めて現代へとたぐり寄せる作業をしているようです。わたしも日本の歴史は縄文・弥生時代から始まって江戸・明治・大正・昭和へと進む方向で学んだ記憶があります。しかしながら、本当は現代から始めて過去へと遡る方が、なぜ今この時代があるのかを...


「救いの完成のために」 マタイ26:47~56
イエスは早くからご自分の歩まれるべき道について、弟子たちに語っておられました。「このときから、イエスは、御自分が必ずエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受けて殺され、三日目に復活することになっている、と弟子たちに打ち明け始められた」-マタイ16:...