御言葉に聴き従う幸い (ルカによる福音書 1章26~38節)
「なぜ聖書を読むのか?」と問われるなら、「そこに真理を見出すから」と答えるでありましょう。一方、「なぜ聖書を読まないのか?」と問われた時も、「実は、真理に遭遇するのが怖いから」となるのではないでしょうか。 ヘブライ4:12に「神の言葉は生きており、力を発揮し、どんな両刃の剣...
留まるもの (ルカによる福音書 19章1~10節)
マリアが「イエスがおられたら」ラザロは死ななかったのにと言います。 イエスはマリアたちの涙を見て憤られ興奮もしました。著者ヨハネは「心に」覚えられたことを2度も記しています。 これまでに語ってきた言葉をこの人たちもマリアの家族さえも理解はしていなかったという喪失感でしょうか...
救い主をお迎えする備え (ルカによる福音書 1章5~20節)
クリスマスになると必ず読まれる聖句に、「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」(ヨハネ3:16)という福音の神髄を語る言葉があります。 「独り子」とは神の御子イエス・キリストです。イエスを私の主...
自らが変えられる祈り (コロサイの信徒への手紙4章2~9節)
ロティー・ムーンの中国伝道を支える祈りに始まり、1931年に日本バプテスト婦人会同盟(現・女性連合)の働きにもなった「世界祈祷週間」は、今日、これに加盟する諸教会に引き継がれ、世界宣教を覚えて祈り、献金を捧げる働きとなっています。...
助けを求める叫び (使徒言行録16章6~10節)
パウロの第二次世界宣教の旅は小アジア地方では思うように進展しませんでした(使徒16:6~)。 聖書はこのことを「聖霊から禁じられた」「イエスの霊が許さなかった」と記しています。 行く手において宣教を阻止する何かがあったからとも、パウロ自身の健康がその風土に合わなかったからと...
伝える『ことば』、伝わる『ことば』 (ローマの信徒への手紙 15章1~7節)
<キリストはわたしたちの平和> エフェソ2:14~15に有名な聖句があります。「キリストはわたしたちの平和」という聖句です。イエスさまはご自身の命と引き換えに、敵意という隔ての壁を取り壊されたことが記されています。イエスさまは私たちを愛されるがゆえに、神さまと私たちの間に入...
1デナリオンの祝福に (マタイによる福音書20章1~16節)
「天の国」に入る条件として、一切を捨ててイエスに従うことを求められたペトロは、即座にすべてを捨ててお従いすることを表明しました。 主イエスはペトロの言葉を受け、捨てたものの百倍の報いを約束された上で、 「しかし、先にいる多くの者が後になり、後にいる多くの者が先になる」と言わ...
「おひとり様でも」 (ルカによる福音書9章57~62節)
最近「おひとり様」という言葉が、よく使われているそうです。「おひとり様ランチ」「おひとり様ショッピング」「おひとり様映画」など多様な価値観が溢れる現在、個人の生活を大切にする傾向が強いように思えます。 私自身、自転車やジョギングなどの個人スポーツが大好きで、西南の近くの大濠...
「告げ知らせる」 (マタイによる福音書28章16~20節)
キリスト教は、遠くこのアジアの片隅に宣教師フランシスコザビエルによって伝道がなされた。 この九州の地は、特にキリスト教の影響を受けた地であることから、キリシタンと呼ばれる信者がいた。 日本の歴史に於いてその時代のキリスト教はキリシタンの歩みと重なるものであった。...
主の名を呼び求める (ローマの信徒への手紙10章9~15節)
今年度の古賀教会の標語は「宣べ伝えよう、よい知らせ」ですが、これに伴う聖書の言葉は、「ところで、信じたことのない方を、どうして呼び求められよう。聞いたことのない方を、どうして信じられよう。また、宣べ伝える人がなければ、どうして聞くことができよう。」(ローマ10:14)です。...