「愛」はこうして届けられた (ローマの信徒への手紙3章19~26節)
先週の礼拝で、「なくてはならないものは」と題してシャフナー先生(西南学院大学学長)からメッセージをいただきました。その答えは「愛」、しかも、イエスさまにおいて現わされた「ギブ&ギブの愛」であると示されました。「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたし...
他者を知ること フィリピの信徒への手紙3章8~9節
「福音」とは「良き知らせ」と言い換えられる言葉で、「神の救い」・「イエス・キリストの救い」を示すと言われます。聖書には「福音は信じるものすべてに救いをもたらす神の力」(ローマ1:16)であり、また教会は「キリストの体」(Ⅰコリント12:27)と表現されます。福音宣教は教会の...
甘い果実の誘惑 (創世記2章15~17節、3章1~9節)
選挙が近づくと有権者は「欲望」を試されます。それはもっぱら「お金」「豊かさ」という魅力的な果実であり、その香りはすべての思考を一時停止させます。確かに、選挙後になればそれが「票」を集めるための手段であったのだと知らされ、地団駄を踏むということになりましょう。これらの果実は、...
「聖霊が降る場所」 使徒言行録2章14~33節
イエス様は復活して40日間弟子たちと共に過ごしましたが、天に昇られて行きました。そして弟子たちがひとつになって祈っているところに、約束の「聖霊」が降ったのです。 聖霊とは一体何でしょうか。聖霊とは英語で「HOLY SPIRIT」と言いますが、このスピリットは聖なるものなの...
「自由と愛」を解く座標軸 (ガラテヤの信徒への手紙 5章16~26節)
「ヘイトスピーチ」法案がようやく日の目を見ることとなりました。これにより、特定の民族や人種を標的にした暴言・デモが「犯罪」として扱われるようになります。一方、これに対しては、「表現の自由」が抑制されるとして、法律化に反対する人々もありました。自由の線引きは難しいところですが...
教会の創立記念日 (使徒言行録 2章1~13節)
昨日、西南学院の創立100周年記念式典と祝賀会が行われました。西南100周年のロゴマークには、「一粒の麦から、次の100年に向かって」とあります。アジア・太平洋戦争をはさむ歴史の波を乗り越えて、「西南よ、キリストに忠実なれ」との創立者C.K.ドージャーの建学の精神が、生き生...
「キリストの愛を伝える教会」 マタイによる福音書 10:1~15
この朝は、イエスが12人の「使徒」を選び、宣教の働きに遣わす箇所からメッセージを聞きましょう。 さて、イエスは5、6節で「異邦人の道に行ってはならない。また、サマリア人の町に入ってはならない。むしろ、イスラエルの家の失われた羊のところへ行きなさい」と言われています。この言葉...
殉教者からの問い (使徒言行録 1章6~9節)
先日、教会から休暇をいただき、久しぶりに夫婦で長崎の町を歩いた。長崎はキリスト教会も多いが、寺町と言えるほどに多くのお寺が町をとり囲んでいる。それは秀吉の時代に始まるキリシタン弾圧の歴史の中で、多くの教会が取り壊されて寺院に建て替えさせられたことが一因とも言われている。現在...
幸せって何だろう (マタイによる福音書 5章1~12節)
「幸せでありたい」とは全ての人の求めるところです。この場合の「幸せ」は、現状には満足せず、もっと良い生活があるはずだ、との「欲求」、良い意味で言えば積極的な「向上心」から来るものです。要するに、「今以上の」という望みが叶えられるなら、そこに「幸せ」があると考えているのです。...
神の存在証明 (ヘブライ人への手紙 1章1~4節)
わたしたちは神をどのようにして知ることが出来るのでしょうか?幼少期から“唯物論”に基づく教育を受けているわたしたちは、ともすると「神は存在しない」との見識を示すことが知識人として当然であるかのごとくに振舞います。しかし同時に、多くの人々が宗教心(信心)を大切にし、何らかの宗...