教会の創立記念日 (使徒言行録 2章1~13節)
昨日、西南学院の創立100周年記念式典と祝賀会が行われました。西南100周年のロゴマークには、「一粒の麦から、次の100年に向かって」とあります。アジア・太平洋戦争をはさむ歴史の波を乗り越えて、「西南よ、キリストに忠実なれ」との創立者C.K.ドージャーの建学の精神が、生き生...
「キリストの愛を伝える教会」 マタイによる福音書 10:1~15
この朝は、イエスが12人の「使徒」を選び、宣教の働きに遣わす箇所からメッセージを聞きましょう。 さて、イエスは5、6節で「異邦人の道に行ってはならない。また、サマリア人の町に入ってはならない。むしろ、イスラエルの家の失われた羊のところへ行きなさい」と言われています。この言葉...
殉教者からの問い (使徒言行録 1章6~9節)
先日、教会から休暇をいただき、久しぶりに夫婦で長崎の町を歩いた。長崎はキリスト教会も多いが、寺町と言えるほどに多くのお寺が町をとり囲んでいる。それは秀吉の時代に始まるキリシタン弾圧の歴史の中で、多くの教会が取り壊されて寺院に建て替えさせられたことが一因とも言われている。現在...
幸せって何だろう (マタイによる福音書 5章1~12節)
「幸せでありたい」とは全ての人の求めるところです。この場合の「幸せ」は、現状には満足せず、もっと良い生活があるはずだ、との「欲求」、良い意味で言えば積極的な「向上心」から来るものです。要するに、「今以上の」という望みが叶えられるなら、そこに「幸せ」があると考えているのです。...
神の存在証明 (ヘブライ人への手紙 1章1~4節)
わたしたちは神をどのようにして知ることが出来るのでしょうか?幼少期から“唯物論”に基づく教育を受けているわたしたちは、ともすると「神は存在しない」との見識を示すことが知識人として当然であるかのごとくに振舞います。しかし同時に、多くの人々が宗教心(信心)を大切にし、何らかの宗...
わたしに従いなさい ヨハネ21:20~25
イエスの磔刑の時にイエスから離れた弟子たちの数人は自分たちの故郷ガリラヤで網を編み生業の漁業に戻っていました。師イエスを忘れたい、記憶から消したい一心で生業に精を出していたことでしょう。否と言ったあの時の自分の行動、逃避する生き様に慙愧があったことでしょう。イエスが顕現され...
イエス・キリストにおいて (エフェソの信徒への手紙 4章3~10節)
日本バプテスト連盟の信仰宣言(1979年)には、「イエス・キリストにおいてご自身を啓示された神こそ、父・子・聖霊として働かれる、唯一の、全知全能の神である。」と記されています。ここに記されている言葉は、正に聖書が私たちに伝えようとしている信仰理解の基盤をなすものであり、「成...
「復活の恵みの中で」 ルカによる福音書 24:13~35
イースターおめでとうございます。 この朝私たちはイエスがエマオという村に向かっていた二人の弟子にあらわれたと報告するルカ24章の記事からメッセージを頂こうとしています。イエスが復活された朝、婦人たちはイエスの墓に行きます。ところが、墓の入り口においてあった重い石がころがして...
受難のイエスを記憶する (マルコによる福音書 14章32~42節)
主イエスの弟子たちは、イエスの最期においても「メシア」(救い主)の意味を誤解したままでした。彼らは相変わらずダビデ時代のイスラエル国家の繁栄を期待し、その時には自分たちもそれなりの地位に就けるものと考えていました。主イエスが三度にわたり弟子たちにご自身の受難を伝えている(8...
「恵みに応えて生きる」 使徒言行録 20:22~38
今朝は、パウロが第3回目の伝道旅行の途中、ミレトスでエフェソの教会の長老たちを招いて語った説教からメッセージを頂きます。その冒頭でパウロは「今や、わたしは霊に促されてエルサレムヘ行きます」-使徒20:22より-と言っています。自分がエルサレムに行くのは、聖霊に迫られ、促され...