ユーモアの中にある輝き (ヨナ書3章10節~4章11節)
十二小預言書(ホセア書~マラキ書)の中で、最も預言書らしくない不思議な雰囲気を醸し出しているのがヨナ書です。ところが、この書は、執筆のテンポの良さと豊かな物語性のゆえに、大人から子どもまで人気があり、愛読者も多いのではないでしょうか。私自身、教会に通い始めてすぐにヨナ書にの...
「神の出来事にあずかる者」 ルカによる福音書 9章46~48節
ルカ福音書4章13節から続くガリラヤ伝道の記事を見ると、使徒たちはイエスから直に「福音」を聞いてきたことがわかります。ところが、彼らの心の中は依然として「誰が一番偉いのか」と、いたってこの世的な価値観に支配されていたのです。...
「何故」から「何のために」へ (ヨハネによる福音書 9章1~12節)
生まれつき目の見えない人を見た弟子たちは、主イエスに問いかけました。「ラビ(先生)、この人が生まれつき目が見えないのは、誰が罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか」(ヨハネ9:2)と。日本でも古くから「親の因果が子に報い」と、生まれながらの不自由さの原因を、...
どこに立ち、何をするのか? (創世記 1章26~31節)
昨年度から、古賀教会は「信仰告白、ミッションステートメント研究班」を立ち上げて、作業を続けてきました。そして、今年度末を目指してミッションステートメント(以下、MSと記します)を策定しようと進められています。MSは最近では企業などで良く用いられる用語で、自社がどこに立ち、何...
ガザに下る道で (使徒言行録 8章26~40節)
使徒言行録が記す初期のキリスト教会の発展の様子には目を見張ります。信仰に導かれた人が「三千人」(使徒2:41)、「五千人」(同4:4)と増えて、十二使徒だけでは対応できず、信徒の中からも所謂「七人の奉仕者」(同6:5)が立てられ、「こうして、神の言葉はますます広まり、弟子の...
「閉ざされた一人一人に」 マルコによる福音書3章31~35節
教会では、血縁関係によらず、イエスをキリストだと信じる者同士が互いに兄弟姉妹と呼び合い、そんな共同体を神の家族として捉えています。教会は、良くも悪くも色々な人がいます。それは自分が好きじゃない人もその中にはいるということです。でもある意味では、そういう人とも一緒にいることが...
「信仰という宝」 マタイによる福音書 13章44~50節
イエスの宣教のご生涯を記した福音書には、天の国とか神の国という言葉がよく使われています。マルコによる福音書1章15節には、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と、イエスの宣教の第一声とも言うべき言葉が記されています。私たちは普段、聖書を通読していく中で...
闇の中に伴われる神 (ヨハネによる福音書 3章1~16節)
ユダヤ最高議会を構成する議員の一人ニコデモは、自分の立場を気にしたためか「夜」という時を選んでイエスの許に訪ねてきました。彼は、尊敬の念を込めて「ラビ(先生)」と呼びかけ、「神のもとから来られた教師」と認識していることを告白しています。彼はイエスが起こしたカナの婚礼での「し...
聖書による養い (テモテへの手紙二 3章10~17節)
プロテスタント教会には、教派を超えて大切にする「五つの約束」があります。①聖書を読む、②お祈りをする、③礼拝を大切にする、④献金をする、⑤伝道する、の5項目です。恐らく私たちが神と人々に対して責任ある信仰生活を行おうとするときに、この「五つの約束」は非常にバランスのとれた優...
美しい人生~永遠を想う思い~ (ヘブライ人への手紙 11章8~16節)
神が人間に与えられた能力で最も大いなるものは「永遠を想う思い」ではないでしょうか。旧約聖書、コヘレトの言葉3:11には「神のなされることは皆その時にかなって美しい。神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。それでもなお、人は神のなされるわざを初めから終りまで見きわめること...