「閉ざされた一人一人に」 マルコによる福音書3章31~35節
教会では、血縁関係によらず、イエスをキリストだと信じる者同士が互いに兄弟姉妹と呼び合い、そんな共同体を神の家族として捉えています。教会は、良くも悪くも色々な人がいます。それは自分が好きじゃない人もその中にはいるということです。でもある意味では、そういう人とも一緒にいることが...
「信仰という宝」 マタイによる福音書 13章44~50節
イエスの宣教のご生涯を記した福音書には、天の国とか神の国という言葉がよく使われています。マルコによる福音書1章15節には、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と、イエスの宣教の第一声とも言うべき言葉が記されています。私たちは普段、聖書を通読していく中で...
闇の中に伴われる神 (ヨハネによる福音書 3章1~16節)
ユダヤ最高議会を構成する議員の一人ニコデモは、自分の立場を気にしたためか「夜」という時を選んでイエスの許に訪ねてきました。彼は、尊敬の念を込めて「ラビ(先生)」と呼びかけ、「神のもとから来られた教師」と認識していることを告白しています。彼はイエスが起こしたカナの婚礼での「し...
聖書による養い (テモテへの手紙二 3章10~17節)
プロテスタント教会には、教派を超えて大切にする「五つの約束」があります。①聖書を読む、②お祈りをする、③礼拝を大切にする、④献金をする、⑤伝道する、の5項目です。恐らく私たちが神と人々に対して責任ある信仰生活を行おうとするときに、この「五つの約束」は非常にバランスのとれた優...
美しい人生~永遠を想う思い~ (ヘブライ人への手紙 11章8~16節)
神が人間に与えられた能力で最も大いなるものは「永遠を想う思い」ではないでしょうか。旧約聖書、コヘレトの言葉3:11には「神のなされることは皆その時にかなって美しい。神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。それでもなお、人は神のなされるわざを初めから終りまで見きわめること...
「復活のイエスが共に」 コリントの信徒への手紙二 4章16~18節
パウロたちは各地で伝道していましたが、迫害のため、その働きは困難を極めました。ところが、それにもかかわらず、彼はⅡコリント4章1および16節で「私たちは落胆しません」とくり返し告白しています。「なぜ?」と思うのですが、パウロには決して落胆しない確かな根拠がありました。「主イ...
第一に伝えたいこと (コリントの信徒への手紙一 15章1~11節)
教会で最も大切な働きは、「宣教」と「教育」と言われます。ここで言う「宣教」(ケリュグマ)とは伝えるべき使信のことで、その中心が「福音」、即ち、初代教会の「信仰告白」です。この使信をいかに後世に継承するかが教会の「教育」(ディダケー)にかかっているのです。...
わたしたちの平和 (エフェソの信徒への手紙2章11~22節)
気の合う人々との交わりは楽しいもので、いつまで一緒にいても疲れることはありません。教会の交わりもそうでありたいと願い、居心地の良い教会を理想的な愛の共同体と考える人も少なくありません。しかし、そのような「お仲間的な」交わりは、聖書が指し示す「神の国」、「愛の共同体」の姿とは...
「聖書における最初の戦争」 創世記 14章11~24節
創世記一四章は戦争の記事で始まっています。どのような理由があったとしても、戦争は罪であると叫ばねばなりません。かつて日本がアジアにおいて犯した罪、また自らも原爆の悲惨さを味わったこと、そして今なお世界中の人びとが苦悩の中にあることなど、戦争のもたらすものは計り知れません。戦...
敗戦70年の節目にあたって (出エジプト記20章 2、13~17節)
近代日本の幕開けを明治維新に置くならば、それは鎖国を排して諸外国に門戸を開いた歴史の節目と言えます。しかし、この開国はアジア諸国への侵略の始まりでもありました。日本は1874年(明治7年)の台湾出兵に始まり、日清戦争、日露戦争、更に韓日併合、満州事変と満州国樹立、そして太平...