イエスさまが存在する日々 (ヨハネによる福音書20章19~23節)イースターおめでとうございます。世界の暦の中にこの日があることは驚きです。それは「日曜日」のことです。この日がなぜ週の初めの日なのか、多くの人は気づかずに過ごしています。勿論、この日は単なる7日ごとの休日ではありません。十字架上で息を引き取られ、死んで墓に葬られたイエスが復...
「子ろばに乗って」 マルコによる福音書 11章1~11節ここに記されている物語は、「主イエスのエルサレム入城」、そう呼ばれます。これは日曜日の出来事だと推測することができますので、「棕櫚(しゅろ)の日曜日の物語」とも呼ばれます。では、このマルコによる福音書には、棕櫚という植物の名前が出てくるわけではありません。ヨハネによる福音書...
サウロの回心 (使徒言行録9章1~19a節)一般に、悪い心を改めることを「改心」と言い表します。「非行からの改心」など言う場合に用います。これに似た言葉に「回心」があります。これはキリスト教用語で、この世の価値基準から神を神とする信仰基準に立ち返ることを表す言葉です。聖書ではしばしば「悔い改め(メタノイア/180度の...
砕かれ悔いる心を待つ神 (詩編51編12~19節)紀元前1000年、今から3000年も前の出来事が今も語り継がれています。それは隆盛を極めたダビデ王の大失態の話です。聖書がこのような「恥ずべきこと」をいつまでも語り伝えているのは驚きです、と感じるのは、正に私が「恥意識」に支配されているからかもしれません。...
「『神の時』を見据えて」 マタイによる福音書 9章14~17節今朝お読みしたマタイ福音書9章14~17節で、私たちはイエスの「福音」と、それまでのイスラエル社会が大切にしてきた「律法」がぶつかりあう光景を目にします。 さて、断食はイスラエル社会においては敬虔さ(信心深さ)のしるしでした。バプテスマのヨハネの弟子たちは師匠にならって節制...
贖罪、償いの約束 (ヘブライ人への手紙 9章23~28節)先日何気なくテレビ番組「徹子の部屋」を観ていますと、プロゴルファーの宮里藍が出演していました。その中で、彼女のような優秀なプロ選手でも一打失敗すると精神的動揺で、次々とスコアを落としてしまうと語っていました。それを防ぐためには技術トレーナではなくメンタルトレーナーが「さあ、...
「荒野の誘惑」 マタイによる福音書 4章1~11節 大野裕昭今朝の聖書箇所の冒頭に、「悪魔から誘惑を受けるため」ということと「霊に導かれて」と書かれていることは矛盾するように見えます。しかしこの両面を見据えておかなければならないでしょう。それは、イエス・キリストが誘惑を受けることには、神の意志があったということです。イエス・キリスト...
神に返しなさい! (マタイによる福音書 22章15~22節)「戦後レジームから脱却する」とは最近よく耳にする言葉です。その意味するところは、敗戦後に押しつけられたとする憲法によって枠組みされた政治機構からの離脱のようです。吉田茂、岸信介、佐藤栄作そして安倍晋三に至る敗戦後の天皇家に繋がる親族による政治支配者にとって、戦前(天皇制)へ...
「あたらしい掟」 ヨハネによる福音書 13章31~37節今朝の聖書でイエスは「新しい掟」として弟子たちに愛し合うことを勧められました(ヨハネ13:34)。ここで言う「新しい」は、「いまだかつて経験したことがない」とか「斬新な」というニュアンスの含まれている言葉です。いったいどこがどのように新しいのでしょうか。...
今日がいちばん新しい日 (ローマの信徒への手紙 12章1~8節)神さまはすべての人に「今日」と言う日を与えて下さっています。「今日」と言う日を、これまでの人生で最後の日と捉え、過去を回想し、成功したこと失敗したことを思い巡らし、その延長線上に現在の自分を置いて、「もう変わることのない自分」に満足したり諦めたりする人も多くあるかと思います...