「復活のイエスが共に」 コリントの信徒への手紙二 4章16~18節
パウロたちは各地で伝道していましたが、迫害のため、その働きは困難を極めました。ところが、それにもかかわらず、彼はⅡコリント4章1および16節で「私たちは落胆しません」とくり返し告白しています。「なぜ?」と思うのですが、パウロには決して落胆しない確かな根拠がありました。「主イ...
第一に伝えたいこと (コリントの信徒への手紙一 15章1~11節)
教会で最も大切な働きは、「宣教」と「教育」と言われます。ここで言う「宣教」(ケリュグマ)とは伝えるべき使信のことで、その中心が「福音」、即ち、初代教会の「信仰告白」です。この使信をいかに後世に継承するかが教会の「教育」(ディダケー)にかかっているのです。...
わたしたちの平和 (エフェソの信徒への手紙2章11~22節)
気の合う人々との交わりは楽しいもので、いつまで一緒にいても疲れることはありません。教会の交わりもそうでありたいと願い、居心地の良い教会を理想的な愛の共同体と考える人も少なくありません。しかし、そのような「お仲間的な」交わりは、聖書が指し示す「神の国」、「愛の共同体」の姿とは...
「聖書における最初の戦争」 創世記 14章11~24節
創世記一四章は戦争の記事で始まっています。どのような理由があったとしても、戦争は罪であると叫ばねばなりません。かつて日本がアジアにおいて犯した罪、また自らも原爆の悲惨さを味わったこと、そして今なお世界中の人びとが苦悩の中にあることなど、戦争のもたらすものは計り知れません。戦...
敗戦70年の節目にあたって (出エジプト記20章 2、13~17節)
近代日本の幕開けを明治維新に置くならば、それは鎖国を排して諸外国に門戸を開いた歴史の節目と言えます。しかし、この開国はアジア諸国への侵略の始まりでもありました。日本は1874年(明治7年)の台湾出兵に始まり、日清戦争、日露戦争、更に韓日併合、満州事変と満州国樹立、そして太平...
「本当の平和とは?」 マタイによる福音書10章34~39節
「地上に平和をもたらすために、わたしがきたと思うな。平和ではなく、つるぎを投げ込むためにきたのである…」-マタイ10:34より-。イエスの衝撃的な言葉は、私たちに何を教えているのでしょうか。 戦後70年、私たちの国は永久に戦争を放棄した「日本国憲法第9条」の精神に反して「戦...
愛されているのですから (コロサイの信徒への手紙3章12~17節)
毎年この季節になると「平和」という文字が飛び交います。しかし、昨今よく話題になる「積極的平和主義」には違和感を禁じ得ないのです。自衛隊を友好国の戦闘にも参加させる「積極策」で有事に強い抑止力となる、というものです。しかし、このような「強力な軍事力」をもって「積極的平和」と語...
神を知る道を歩もう (詩編19編 2~11節)
日本は宗教人口2億人以上と言われます。人口の約2倍になります。この特異性は、5年ごとに世界の主要大学が協力して18歳以上で無作為の人々1000人を対象に行われる宗教調査にも現れます。この調査の中に「神の存在」「死後の存在」についての問いがあり、「ある」との回答が、イスラム圏...
神のシャロームを! (ローマの信徒への手紙8:18~22)
聖書はその冒頭で神による天地創造を記し、「見よ、それは極めて良かった」と御自分の手の業を絶賛しています。実に全被造物は神の喜びとして創造されているとの宣言です。この「極めて良い」あり様こそが「神のシャローム(平和)」なのです。完全な調和、完全な喜び、完全な関係、「シャローム...
「なぜ思い悩むのか」 マタイによる福音書6章25~34節
「だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である」-マタイ6:34-。 私たちにとって、「明日」という日は、ある場合に大きな悩みの種であることが多いものです。10年後、20年後、私は、そして私の家族は何処で何をしてい...