自由と愛を考える (コリントの信徒への手紙一 8章1~13節)イスラムの教祖ムハンマドの挿絵を風刺画として掲載したフランスの新聞社がテロ集団に襲われ、多数の死傷者を出した事件をめぐり、フランスをはじめ世界各地で「表現の自由」を掲げて同紙を支持する大規模なデモが行われました。同社は事件後の最新版においても同様の風刺画を記載して700万部...
神の義に与る (ローマの信徒への手紙 3章21~31節)ローマの信徒への手紙3章21~31節はこの書簡の心臓部とも言われるほどに重要な箇所です。既にパウロは1章16、17節において「信仰による義」の命題を掲げましたが、その内容がここに展開されているからです。カトリック教会の熱心な修道僧であったルターは、身体を傷づけるほどの修業を...
「実りを分かち合う」 ルカによる福音書 12章13~21節今朝私たちはルカによる福音書から一つのたとえ話を聞きます。このたとえは私たちに「クリスチャンとはいったい何者なのか」と問いかけています。 イエスは、神の前に富む生き方が求められていることを教えるために、「愚かな金持ち」のたとえを語られました。この物語においてキーワードとなっ...
恵みの主をたたえる (エフェソの信徒への手紙 1章3~7節)主の年2015年が始まりました。この年もわたしたちは毎週、主イエス・キリストを礼拝します。しかも独りでではなく、共に礼拝を捧げます。何故なら、礼拝の場面でこそ「自分とは何者か」が問われ、「共に生きる」ことの意味が問われるからです。聖書はカインとアベルの物語(創世記4章)を通...
「主の恵み」を数える (詩編107編1~9節)“望みも消えゆくまでに”(新生103)は世界中で100年以上の長きにわたって慕われてきた讃美歌です。さまざまの困難や悲しみに遭遇した時、多くの人がこの賛美を口ずさみました。なぜ多くの人々がこの歌に心ひかれたのでしょうか。それは、繰り返しのところに歌われる「数えよ...
「今始まる永遠の命」 (ヨハネによる福音書 3:15~17)「永遠の命」という言葉から何を考えるでしょうか。「いつまでも死なない命」「死んだあとも不滅の命」などでしょうか。この言葉を17回と最も多く記すヨハネ福音書(新共同訳)では、「永遠」は「終わりのない」というような時間の概念というよりも、「神と結ばれる」との意に集中して用いられ...
「終わりなき希望に生きる」 (ヨハネによる福音書 1章1~5,9節)ヨハネ福音書はその冒頭で「初めに言(ことば)があった」-1:1-と言ってイエス・キリストを紹介しています。この「初めに」という言葉に注目しましょう。私たちはなにげなく、すべての事柄にははじめがあり、終わりがあると考えています。けれども、ヨハネが「初めに言があった」と言うとき...
弱さの中にある力 ルカによる福音書 1:46~55マリアの賛歌(ルカ1:46~55)の第一声は「あがめます」(メガリュオー)で、その意味は「大きくする」です。神を大きくすること、即ち神の前に自分が小さくなること、それが「あがめる」の意味です。「自分を徹底的に小さくすること」、ここにこそクリスマスを迎える者の姿があります。し...
主を待ち望むアドベント 「コリントの信徒への手紙二 5:16~21」キリスト教信仰は自分だけがこの世の迷いやしがらみから解放されて悟りを開くこと、いわゆる「解脱」の境地に至ることを意味しません。むしろ、混迷するこの世に身を置いて、そこに共にある人々や他の被造物と、迷いやうめきを共有し、互いの関係を良いものに作り変えていくことにあると言えまし...
「わたしたち」の幻 使徒言行録16:6~15去る11月12~14日、伊豆天城山荘で開催された第60回日本バプテスト連盟総会において理事会が提出した「2015年度活動計画案」が否決されました。長い連盟の歴史の中で理事会からの「活動計画案」が否決されたのは初めてのことだと思います。いつもの年であれば「さあ、来年も協力伝道...