「福音によって」 (ローマの信徒への手紙1:1~7)
人に何かを伝える事は、大変難しいことです。 長い間子ども向けのニュース番組に出演されていたジャーナリストの池上彰さんは、 著書の中で「わからない人にわかるように説明することがどれほど難しいものであるかを学ぶことができた。」と彼は語ります。...
愛を示された神 (ローマの信徒への手紙5章1~11節)
「ユダヤ人」という呼称は人種、民族、国籍と言うよりも、ユダヤ教を守る人々の意で用いられます。この呼称はイスラエルの民が国土を奪われバビロニアに捕囚となるBC6世紀ころから用いられました。 それまで神殿を中心にして祭儀を行うことにおいて一つとされていた彼らはそれが適わなくなり...
キリスト信仰に歩む幸い (ヨハネによる福音書14章1~6節)
幼いころ、「わたしはどこから来て、どこに行くのか」との疑問を持ち続けていました。 明治生まれの父親は宗教的なことが好きで、子ども達を連れて神社仏閣に詣でたり、 御札を買ってきては神棚や仏壇に置いたりしていました。 そのような環境であったためか、小学生のころになると般若心経を...
逆風の中にあっても (イザヤ書40章27~31節)
我が家はマンションの8階にあります。ベランダからは広々とした玄界灘とそこに浮かぶ相島、玄界島、志賀島、目を転じれば立花山連山、東には福岡女学院看護大学や東医療センターなどが一望できます。海には行き交う船が、眼下には古賀市街地を南北に走る鹿児島本線の列車、目を上げれば飛行機も...
心の中がいつも明るいように (エフェソの信徒への手紙 1章17~19節)
旧約聖書創世記の1章に、天地創造の物語があります。神は、ご自分にかたどって人を創造されました。人の住む世界は、すべてのものが「極めて良かった」と神が言われるほどに調和した平和な世界でした。人は、神からエデンの園での役割と自由を与えられるのですが、禁止されていた善悪の知識の木...
「わたしの教会とは? (マタイによる福音書 16:13~20節)
「わたしの教会」というとき、それは何を意味しているでしょうか?「わたしの教会は古賀教会です」との答えが返ってくるようです。それも正解でしょう。そして、私の古賀教会への思いが湧きあがってきます。美しい外観、高い天井の会堂、賛美やメッセージ、礼拝や教会学校で出会う人々。「これが...
「無知」から救い出す御言葉の力 (ルカによる福音書 23:32~43節)
「憎悪が、世界を覆い尽くしている。どうすれば、憎しみの連鎖を断ち切ることができるのか。その手がかりを与えてくれる2人の人物がいる。70年前、殺戮の最前線にいた日米2人の兵士である。“トラトラトラ””を打電した真珠湾攻撃隊の総指揮官、淵田美津雄。その後もラバウル、ミッドウェー...
福音を伝えることの責任 (エゼキエル所33章7~11節)
1945年5月、ナチ・ドイツは降伏。反ナチ闘争による拘束から解放されたマルティン・ニーメラーに「懺悔の想い」をこめた有名な言葉があります。「ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった。私は共産主義者ではなかったから・・・。社会民主主義者が牢獄に入れられたとき...
ひまわりの夏 マルコによる福音書5:1~20
「難しいことを易しく、易しいことを深く、深いことを愉快に、愉快なことを真面目に書く」これは井上ひさし(1934~2010)の言葉ですが、福音書の著者の一人のマルコによる5章の物語に通じるものを感じました。夏休みから9月中旬までの50日間、ラジオ体操のお世話を続けて6年となり...
記憶すべきこと (エフェソの信徒への手紙 2章11~22節)
去る5月27日、アメリカ現職大統領オバマ氏が広島の原爆死没者慰霊碑に献花、黙祷をささげた。慰霊碑正面には「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」との言葉が刻まれている。これに対して昨今、「過ちを犯したのは誰か?アメリカではないか。日本は被害者であり、この言葉は自虐...