「わたしの教会とは? (マタイによる福音書 16:13~20節)
「わたしの教会」というとき、それは何を意味しているでしょうか?「わたしの教会は古賀教会です」との答えが返ってくるようです。それも正解でしょう。そして、私の古賀教会への思いが湧きあがってきます。美しい外観、高い天井の会堂、賛美やメッセージ、礼拝や教会学校で出会う人々。「これが...
「無知」から救い出す御言葉の力 (ルカによる福音書 23:32~43節)
「憎悪が、世界を覆い尽くしている。どうすれば、憎しみの連鎖を断ち切ることができるのか。その手がかりを与えてくれる2人の人物がいる。70年前、殺戮の最前線にいた日米2人の兵士である。“トラトラトラ””を打電した真珠湾攻撃隊の総指揮官、淵田美津雄。その後もラバウル、ミッドウェー...
福音を伝えることの責任 (エゼキエル所33章7~11節)
1945年5月、ナチ・ドイツは降伏。反ナチ闘争による拘束から解放されたマルティン・ニーメラーに「懺悔の想い」をこめた有名な言葉があります。「ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった。私は共産主義者ではなかったから・・・。社会民主主義者が牢獄に入れられたとき...
ひまわりの夏 マルコによる福音書5:1~20
「難しいことを易しく、易しいことを深く、深いことを愉快に、愉快なことを真面目に書く」これは井上ひさし(1934~2010)の言葉ですが、福音書の著者の一人のマルコによる5章の物語に通じるものを感じました。夏休みから9月中旬までの50日間、ラジオ体操のお世話を続けて6年となり...
記憶すべきこと (エフェソの信徒への手紙 2章11~22節)
去る5月27日、アメリカ現職大統領オバマ氏が広島の原爆死没者慰霊碑に献花、黙祷をささげた。慰霊碑正面には「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」との言葉が刻まれている。これに対して昨今、「過ちを犯したのは誰か?アメリカではないか。日本は被害者であり、この言葉は自虐...
「神の作品として」 エフェソの信徒への手紙2章1~10節
エフェソの信徒への手紙」は「手紙の女王」と言われているほど、信仰的に、神学的に、文学的にも優れています。その中心テーマはキリストの体なる教会として、私たちが神の恵みを受けるにふさわしい生き方をすることを教えています。神さまに望まれる生き方とは何でしょうか。...
「救い」をもたらす信仰 (マルコによる福音書5章25~34節)
「あなたの信仰があなたを救った」(マルコ5:34)との主イエスのお言葉は、読む者の心を動かし、「わたしの信仰」との比較の中に新たな問いを投げかけます。「はたして、わたしの信仰はわたしを救うのだろうか」と。確かに、マルコ5:25以下に記される、12年間も身体的苦痛と社会的差別...
祝福の継承責任 (創世記13章8~18節) 金子敬
土地は誰のものでしょうか?親から受け継いたから私の財産でしょうか?固定資産税を納めますから国家のものでしょうか?土地を巡っては遺産相続から領有権の主張まで古今東西、争いが絶えません。 しかし、聖書には天地万物は神の被造物であると記されています。従って、この大地もそこにある全...
「今、心寄せる選択」 ルカによる福音書12章22~34節
今日は何の日? 7月10日は参議院選挙の投票日です。今回の選挙から18歳以上の方から投票が出来ます。投票権を持っている方は、決して棄権はしないで国民の権利として行使しましょう。今回の選挙の行く末で、憲法を改正して戦争ができる国として進むのか、それとも「殺さない、殺されない、...
聞け、すべての民よ (申命記6章4~9節)
教会学校の教案誌「聖書教育」には週ごとの学びの最初に「おはなし」が記されています。この執筆者に企救教会の原田牧師が立たれる場合は、必ず「シェマー、シェマー、聞きなさい。聖書のお話聞きなさい。」でお話しが始まります。物語ることを大切にされているようです。...